カテゴリー「上田近郊の名勝・名所・文化財」の記事

2013年4月29日 (月)

信濃国分寺の御開帳

信濃国分寺の御開帳が、今年のゴールデンウィーク中に行われています。12年に一度、巳年だけの珍しいイベントですので、機会があれば信濃国分寺に参拝したいものです。
御開帳の期間は4月28日~5月5日までです。

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中央右に立っている柱が開帳柱で、これと五色のヒモでご本尊がつながっています。柱やヒモに触ることによって、ご本尊に触れるのと同じご利益があるとされています。

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飯島商店の店舗内でも、信濃国分寺御開帳関連の資料を展示しています。よろしかったらご覧になりに来て下さい。

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2013年4月16日 (火)

国際音楽村のすいせん祭り

そろそろ終盤なのですが、国際音楽村でスイセン祭りをやっています。

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三月末から咲き始めて、今は散り始めといった感じです。

上田近郊でこれほどまとまった数のスイセンがある所はありませんので、毎年4月上旬~中旬に上田にお越しの際は、ぜひ一度ご覧になって下さい。
桜はどうしても年によって満開の時期が大幅にズレるのですが、スイセンでしたらほぼ満開の時期が変わりません。旅行計画に組み込むには適した観光スポットと言えるのではないでしょうか。

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2013年4月10日 (水)

祢津城址と桜

高速道路の東部湯の丸IC近くにある山城が祢津城でして、その特徴的な山の形からすぐに分かります。

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写真中央の小山の山頂部が祢津城です。

祢津城は祢津氏という神主の一族が本拠地としていた古城でして、戦国時代まで使われていました。一部の歴史マニアには以前から知られた存在でしたが、一般的な知名度はあまり無かったかと思います。
最近、この祢津城を桜の名所にしようと、桜の植樹とともに城址の整備が地元の方たちの手でさかんに行われているようです。

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麓の桜は開いているのですが、

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山頂の祢津城の桜の開花はまだまだ先のようです。今月中旬~下旬の見頃となりそうです。

ところで祢津城は当時の地形がよく残っているところでして、本丸の土塁の跡がはっきり残っていたり

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裏手には大堀切があったり

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歴史ロマンを楽しむことができます。

登山道も整備され軽いハイキング気分で登れる山城ですので、桜の時期にでも一度訪れてみると楽しめると思います。
もっとも、登山道横の駐車場までの道が非常に狭いですので、車で行く場合は注意が必要ですが。

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2013年2月13日 (水)

戸沢のねじ行事(藁馬引き)

国選択の無形文化財に指定されている戸沢のねじ行事についてご存知でしょうか?

戸沢は上田市真田町にある地域でして、ねじとは毎年2月8日の初午にて子供が引く藁馬に乗せるお餅のことです。

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ねじを作っているところです。上新粉をお湯で練ったお餅に色をつけ、中にこしあんを入れて色々な形に作ります。

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出来上がったねじです。色とりどりで可愛らしくきれいなものです。

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藁馬引きで使う藁馬とともに、ただいま店舗にて展示しています。文化財に指定されるだけあって全国的に見ても珍しい戸沢のねじ文化を、ぜひご覧下さいませ。

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2011年12月 5日 (月)

上田城の櫓と飯島商店

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上田城址と言えば上田の代名詞的存在ですし、徳川に最後まで抵抗した名将真田昌幸・幸村・真田十勇士の本拠地として、今も昔も変わらない人気を誇っています。

その上田城と飯島商店ですが、実は大いに関係があるのです。
古老はさておき、今では地元の人間ですら知らない人が多いようですので、改めてその経緯について説明いたします。

上田城の南櫓と北櫓は、明治時代に民間へと二束三文で払い下げられて移築され、何と遊郭として使用されていたのです。全国にその名を馳せる名城上田城も、明治維新の混乱期にあっては単なる空き屋同然の扱いを受けていたのです。

初代社長の飯島新三郎は、このままではきっと後世に悔いを残すことになると危機感を覚えました。
彼は飯島商店のみならず多方面の業界・業態に事業展開した進歩的な人間でしたが、同時に古きものの不朽の価値とその保存の重要性を理解していたのです。

新三郎は上田城保存会を設立。会長を上田市長とし、自分は副会長・建築委員長となりました。
そうして市民を巻き込んで、櫓を上田城に戻そうと運動し続けました。市民有志からの募金とともに、自らも相当額の資金と時間を復旧運動に注いだと伝え聞いています。

こうして大戦後の昭和24年、ようやくに上田城南櫓と北櫓は元の位置に戻ったのです。新三郎の上田城保存活動への熱の入れ方は並大抵のものではなかったようで、新三郎の息子の二代目社長飯島春三より、その当時の話はよく聞かされたものです。

かくして、今の上田城があります。
上田を訪れる観光客の大半が立ち寄る上田城ですが、今の姿があるまでこのような経緯があり、飯島商店と飯島新三郎が深く関わっているのです。

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2010年9月28日 (火)

星糞峠

きれいなのか汚いのか微妙な名前ですが、上田から車で1時間ほど、星糞峠は知る人ぞ知る黒曜石の日本屈指の大産地です。
石器~縄文時代において黒曜石の重要な産地でして、無数の採掘祉が今も残っています。


より大きな地図で 星糞峠 を表示

黒曜石体験ミュージアムに車を停めて(ミュージアムの係の人に言えば、熊よけの鈴を貸していただけます)、30分ほどの軽い登山で採掘祉群につきます。

Hoshi

採掘祉の看板のある台地です。

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採掘祉は、この林の中のなだらかな斜面にあります。

Hoshi2

写真だと分かりにくいかも知れませんが、なだらかな窪地が無数に斜面にあり、これが古代人が黒曜石を採掘した穴です。

一大産地だけあって、小さな黒曜石の破片は足の踏み場も無いほどの無数です。

Kokuyou

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陽に透かしてみると、きれいなガラス質を楽しむことができます。

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事情を知らない昔の人が、黒曜石を星の産物だと解釈したのが星糞峠の名前の由来だと思われますが、それもさもありなんと思える美しさが黒曜石にはあります。

黒曜石の採取、持ち帰りは禁止されていますが、古代ロマンを感じさせられる黒曜石に気軽に触れ合える場として、星糞峠は絶好の場所です。
機会があれば一度足を延ばしてみてください。

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2010年9月 6日 (月)

仏岩の宝篋印塔(ほうきょういんとう)

長和町のエコーバレースキー場へ行く途中、仏岩という景勝地があります。

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山の山頂に切り立った大岩が3つ並んでいますが、これが仏岩です。
この切り立った大岩の上に、鎌倉時代の応長元年(1311年)の石塔(宝篋印塔)があります。在銘の石塔としては長野県最古のものです。

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仏岩を拡大したものですが、一番左の大岩の上にぼんやりと石塔が乗っているのが分かるでしょうか。

仏岩登山道入口は国道152号線沿いに大きな看板がありますので、すぐにそれと分かります。

Tozando

仏岩の上まで30分程度の登山なのですが、登山道は頂上付近でかなり厳しいものになります。

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チェーン伝いに登っていかなければならない場所です。それほど長く続くわけではありませんが、ちょっとした探検気分を味わえます。

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仏岩の頂上、宝篋印塔へと登るハシゴです。足を滑らせれば無事では済まないところですので、それなりの覚悟が必要です。

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仏岩の宝篋印塔と、そこからの景色です。

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足元はこんな感じでして、絶景というよりも恐怖感を覚えます。

ちなみに、この宝篋印塔は、江戸時代に岩茸採りに来た村人によって偶然に発見されました。岩茸(信州ではおめでたい席などで食べる高級食材です)はコケの一種でして、このような断崖絶壁に生えます。
一体誰が、何のために、どうやって、このような鳥しか通わないような場所に石塔を立てたのか?しかも、信州最古の石塔が、なぜこの場所に立てられたのか?
伝説・伝承の類すらまったく現存せず、大きな歴史上の謎です。
(銘文については上田マルチメディア情報センターのページに紹介されています)

Houkyouinn2_3

その謎の解答を知っているのはこの石塔だけ、ということになります。

仏岩からすぐ近くには大門峠があり、茅野へと抜ける大門街道は古くから交通の要でした。また、石塔の銘文からも西日本にルーツを持つ有力者が建てたのではないかと想像できます。
はるか遠く、峠を越えて、故郷を望むことができそうな場所が仏岩の上だった、と私は想像しています。

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三吉慎蔵と信州上田

昨日の大河ドラマで、竜馬の盟友として大活躍している長州藩士三吉慎蔵ですが、上田と非常に縁が深いことをご存じの方はあまり居ないと思います。
縁が深いと言っても、彼自身が上田に出入りしていたというわけではないのですが、三吉慎蔵の長男の米熊が上田に居を構え、その直系のご子孫が上田に今も残っています。

三吉米熊は、上田に転居後、養蚕・蚕糸のエキスパートとして活躍しました。小県蚕業学校(現:上田東高等学校)を創設、上田蚕糸専門学校(現:信州大学繊維学部)の創設にも深く関わっているなど、蚕業教育に力を注ぎ、蚕都上田の地位を確固たるものにしました。
(三吉米熊の経歴は上田マルチメディア情報センターのページが詳しいです)

なぜ、三吉米熊は上田という土地を選んだのでしょうか。
はっきりしたことは分かりませんが、恐らくには幕末の著名な軍学者の佐久間象山(Yahoo百科事典の解説)の影響が強いのではないでしょうか。佐久間象山は松代藩士でしたが、上田と非常に関係が深く、佐久間象山への面会は上田藩が窓口していました。高杉晋作、久坂玄瑞などの名だたる長州藩士が上田を訪問し、佐久間象山の教えを受けたことが記録に残っています。
三吉米熊も一大学府としての上田という土地に憧れ、自らの居をここに構えることを選んだのではないでしょうか。あるいは、慎蔵が米熊に上田を推薦したのかもしれません。
いずれにせよ、上田が幕末から明治にかけて、長州と密接な関わりがあったことは間違いありません。

ところで、上田藩主といえば松平氏、徳川家の血筋です。最後の上田藩主である松平忠礼は、戊辰戦争で率先して新政府側に味方するなど、徳川家の血筋とは思えない行動をとっています。最後まで徳川に弓引いた真田昌幸・幸村の亡霊に毒されたのか、とさえ思えてしまいます。

しかし裏を返せば、それだけ当時の上田が先進的で、徳川の世が終りであることを知ることができるだけの情報通だった、ということなのでしょう。

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2010年4月 9日 (金)

生島足島神社山宮

今年は御柱祭です。諏訪の御柱祭が有名ですが、上田にもたくさんある諏訪神社でも、どこも小規模になりますが御柱祭を必ず行います。
その中でも比較的大規模なものが生島足島神社の御柱祭です。

生島足島神社の御柱祭については他にいくつも紹介サイトがありますのでそちらに譲るとしまして、あまり知られていない生島足島神社の山宮についてご紹介します。


より大きな地図で 生島足島神社山宮 を表示

インターネットで検索してみましたが地図もありませんでしたので、大体の位置を載せておきます。

さて、なぜ御柱祭で山宮なのかと言いますと。御柱祭で生島足島神社に立てる木は、この山宮がある東山地区から切り出された(山出し)ものなのです。

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ちょうど山出ししてきた御柱がありましたので撮影したものです。ちなみにこの場所は「御旅所」と言います。

そして、こちらが生島足島神社山宮です。

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小ぶりながらも四隅に御柱が立っていることが分かります。

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また、案内板にもあるように、この山宮は健御名方、つまり諏訪大社の神様を祀ったものです。生島神足島神とは関係がありません。
生島足島神社山宮とは言いますが、実際には摂社である諏訪神社の山宮の性格が強いと言えます。

特に山岳信仰にまつわる神社に非常に多いのですが、もともとは山の上にあった神社を、参拝のし易いふもとの集落に移し、もともとの場所を奥宮(山宮)と称する例があります。
生島足島神社の境内にある諏訪社も、もともと山宮の位置にあったものを移してきたものではないかと私は考えています。

それにしても生島足島神社において、なぜこれほどまでに諏訪神が重要な扱いを受けているのか興味深いところです。
いろいろと想像ができて楽しいところですが、私なりの推測を、今度は生島神足島神がもともと祀られていたと言われる泥宮をからめて後日ご紹介したいと思います。

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2009年7月21日 (火)

志賀高原のヒカリゴケ

国の天然記念物に指定されている佐久岩村田のヒカリゴケは以前紹介しましたが、スキーのメッカである志賀高原も知る人ぞ知るヒカリゴケの豊産地です。

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さすがに岩村田のヒカリゴケのように固まって大群落を作っているということはありませんが、木のウロや岩陰を覗くとかなりの確率でヒカリゴケを確認することができます。保護柵などはありませんので、手が届く範囲で観察することができますし、迫力としては岩村田よりも上と言えるかもしれません。
写真のものは大沼池入口のバス停付近で撮影したヒカリゴケですが、このあたり一帯のジメジメした日蔭には特に多く見られます。

ところで、冬の志賀高原も良いですが、夏の志賀高原も色々な見どころがあるものです。
これは澗満滝と言って、長野県内でも屈指の大瀑布です。

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澗満滝は国道292号線途中の展望台から見ることができます。遠目で見るだけですが、それでも迫力は伝わってくると思います。

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