カテゴリー「伝説・伝承」の記事

2010年7月21日 (水)

おかんが池

青木村の沓掛温泉から鹿教湯の方に向かった山手に、おかんが池という小さな沼があります。


より大きな地図で おかんが池 を表示

訪れる人もほとんおらず、私も土地の方に場所を聞いて、それでもなかなかそれと分からずに難儀してしまうような場所です。
ですが、民俗学的におかんが池という場所は青木村のみならず上田でも有名でして、雨乞いの聖地として知られています。

Okanga1

こちらがおかんが池でして、池というよりも水たまりといった感じです。

さて、雨乞いのやり方ですが、この池の水をかき交ぜたり、池の水を全部出して新しい水に換えると、どんな干ばつの時でも土砂降りの大雨になると言われています。

こういった雨乞いのやり方自体は日本全国で見られる形式です。しかし、おかんが池が変わっているのは、この池での雨乞いは、他の雨乞いのやり方ではどうしても駄目な時の、よくよく最後の切り札とされているところです。

さて、おかんが池には伝説がありまして、つつじの乙女とよく似た伝説です。比較的有名なものだと思いますが、インターネットで検索してみても出てきませんでしたので、さらっと概略を書いてみます。

昔々、沓掛村(おかんが池のあるあたりで、今の青木村沓掛)の「おかん」という娘さんが、山を越えた向こうの西内村(今の上田市丸子町西内)の若者と恋仲になりました。おかんは山を越えて若者の元へと毎日通っていたのですが、日に日に若者の心はおかんから離れて、とうとう不義をはたらいていることがばれてしまいます。
おかんは嘆き悲しみ、西内村へと至る峠道の途中にある池に身を投げてしまいました。そんなことがあり、この池をおかんが池と呼ぶのです。
また、おかんさんの涙なのでしょうか。この池をかき混ぜると、どんな晴天の日でも土砂降りになるのです。

といった伝説です。類型はいくつかありまして、意地悪な姑にいじめられた「おかん」という人がこの池に身を投げた、など、いずれも「おかん」という人がこの池で死んだという伝説になります。

見た目では膝までも無さそうな水位のほんの水たまりに見えまして、この池で人が死ねるのだろうか?と伝説とはいえ説得力に疑問を感じてしまいます。ですが土地の人によると、この池は底なし沼のようになっていて、うっかり中に入ると足がとられて動けなくなってしまう、との話もあります。

伝説もさることながら、おかんが池がなぜこれだけ地元で信仰されているのか、疑問に思うところもあります。
見た目では小さな水たまりですし、周囲に何があるわけでもありません。水に対する信仰であるなら、川の水源地なら納得できるのですが、おかんが池はそういうわけでもありません。
それこそ、おかんの伝説のベースとなる実際の事件が大昔にこの池であったのではないだろうか。おかんは人柱のような役割をしているのではないか。などと想像してみるとちょっと怖くなります。

おかんが池は雨乞いの聖地です。聖地にはうかうかと足を踏み入れ難いような、そういう気分にさせられる雰囲気があるものなのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年1月14日 (木)

夫婦岩

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
ばたばたしてしまい、ブログ更新もすっかりご無沙汰になってしまいました。

さて、前回(11月2日)に紹介した小鍋立ての湯のほど近く、砂原峠の道ををすこし上がると、道の左脇に「夫婦岩」と小さな案内柱が立っています。

Fuufuiwa1_2

Fuufuiwa2

これが夫婦岩です(秋に撮った写真です)。峠道を挟んで二つの岩があります。
なぜ夫婦岩という名なのかというとこれには伝説があるのですが、現地はもちろんインターネットにも伝説の内容が紹介されていませんでしたので、ここで簡単に紹介します。

むかしむかし、仲の良い若夫婦が村に居ました。お嫁さんはたいそうな美人で、村でも評判だったそうです。
ところが、その噂を聞きつけて村にやってきたお侍さんが横恋慕し、その嫁を自分に差し出せと言いつけてきたのです。
厳しい身分社会の当時のこと、お侍の命令は絶対ですので、表立って断ることもできません。そこで、夫婦は二人して手を取り合って夜逃げすることにしたそうです。
ところがお侍はそのことをどこからか聞きつけ、後を追って砂原峠で追い付き、呪いをかけて二人を岩にしてしまったそうです。

という内容でして、悲恋譚です。それにしても、侍が呪いで人を岩にしてしまうなど今にして考えれば随分と突拍子も無い話です。当時は庶民にとって、侍という人たちはそのくらい恐ろしく、自分たちとは全く別の人種だったのでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月 2日 (月)

小鍋立の湯

丸子町の砂原峠に小鍋立(こなべだて)の湯という温泉跡があります。

Konabedate1

以前は皮膚疾患に効く温泉ということで湯屋もあったそうですが、いつの頃からか今のような更地になっています。

Konabedate2

こちらが湧き出している温泉の井戸だということです。鉱泉ですので暖かくはありませんが、底の方から断続的に泡が吹き出している様を見ると、何となく温泉ぽい感じが湧きます。

さて、この「小鍋立」の名前の由来ですが、伝説があります。ちょっと調べてみましたが、インターネット上に情報がありませんでしたので、私が聞いたところの伝説の概要を紹介してみます。

昔、砂原峠に山姥が住んでいました。恐ろしい顔をした山姥がふもとの村々に悪さをするので、村人たちはとても恐れていました。
そのうち、山姥は村から娘を一人さらって来て、自分の召使としてこき使い始めました。娘は山姥が恐ろしいもので、逃げ帰ることも出来ずに山姥の言う通りにするしかありません。
そうこうしてある時、山姥が娘を一人置いて家を留守にする日がありました。娘は食べるものもろくに与えられていませんでしたので、鬼の居ぬ間にということで、米やら野菜やらを入れて鍋を作り始めました。
さて鍋が出来上がりさあ食べよう、という時に鬼婆が家に戻ってきてしまったのです。見つかれば殺されると思った娘は、とっさに鍋ごと井戸に放り込んでその場をやり過ごしました。
ところが、その井戸の水で毎日のお風呂や炊事をしているうちに、不思議なことにあばたやできものだらけだった山姥の顔がつるつるとしてきたのです。そうなってくると日に日に山姥の心もおだやかになり、いつしか人の良いお婆さんになってしまったのです。
こうして、娘とお婆さんは二人仲良く湯屋を始め、ふもとの村々からのお客でたいそう繁盛したそうです。

というようなお話でして、小鍋立の湯が皮膚病に効くというところから作られたものなのかも知れません。山姥すら人の良いお婆さんになってしまう、という話はなかなかに微笑ましく、楽しいお話です。

続きを読む "小鍋立の湯"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月21日 (月)

狐塚

丸子町の蛍の名所で有名な狐塚ですが、この狐塚という地名の由来となった塚があります。その名も狐塚でして、今もその塚と狐を祀った稲荷神社が残っています。

Kitsunezuka2

こちらが狐塚の稲荷神社でして、向陽院という比較的大きなお寺の横にあります。

Kitsunezuka3

稲荷神社らしく、本殿にはたくさんの狐の焼き物が奉納されています。

さて、狐塚がなぜそのような名になったかと言いますと、これには伝説があります。インターネットで検索してみましたがあまり詳細なものがありませんので、伝説の概略を紹介しておきます。

昔々、この地を治めていた偉い人のお墓(塚)に、いつのころからか白狐が住みつきました。この白狐は人をだましたりすることもありませんでしたので、村の人たちはお犬様と呼んで大切にしていました。それどころか、村に悪いことが起こる前の日には決まって、白狐が鳴いて歩き回って村中にそのことを知らせてくれていました。
村中が大火事になった前の晩も白狐が鳴いて知らせてくれたもので、村の人はだれも死ぬことが無かったそうです。
そんなわけで、この村を狐塚と呼ぶようになったのです。

というようなお話でして、狐が村の吉事・凶事を知らせてくれるという狐信仰の類型と考えられます。また、古墳に異界の者が住みつく、という伝説も全国的に数多くみられまして、上田にも塚穴の主が膳や椀を貸してくれる、という椀貸し伝説もいくつか見られます。

Kitsunezuka

これが伝説の舞台の狐塚でして、稲荷神社本殿の裏にあります。今こうして見ると、ちょっと小さすぎて狐が住みつくには心もとないような気もしますが、稲荷神社の立派さを考えても、伝説の白狐が村人の信仰を集めていたことを偲ぶことができます。

続きを読む "狐塚"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月15日 (火)

毘邪王の鬼石(実相院)

角間渓谷で少し紹介しましたが、角間渓谷の鬼「毘邪(ひや)王」は、坂上田村麻呂に捕まった後に真田町傍陽の実相院というお寺の松の木に鎖でくくり付けられたと言われています。

Jissouin

実相院の入口にある石柱に「金縄山実相院」とありますが、この金縄(きんじょう)とは毘邪王がくくりつけられた鎖に由来すると言われています。

さて、松にくくり付けられた毘邪王ですが、あまりに暴れて泣き叫ぶもので、その声で近隣の人々は夜も眠れないほどだったとのことです。そこで仕方が無く、松にくくりつけたまま毘邪王を殺したと言い伝えられています。毘邪王のなきがらはその場に埋められ、墓所に鬼石を鎮めとして祀っている、とのことです。

Oniishi

多宝塔が乗っている岩が鬼石です。実相院の本堂の横にあります。

毘邪王をくくりつけた松の木を鬼松と言って、鬼石の傍らにあったと言い伝えられていますが、長い歳月の間にたびたび枯死しては植え替えられまして、今ある鬼松は昭和31年に植えられた四代目だそうです。

Onimatsu

植え替えられて間もない松の木ですので、まだまだ歴史の重みを感じさせるような姿ではありませんが、このような形で脈々と伝説の木が受け継がれているのは興味深いところです。

また、毘邪王が退治された後も、その天地を揺るがさんばかりの暴れようの後遺症で、近隣の村人に歯が痛くなる人がたくさん出たそうです。そこでこれは毘邪王の祟りだとして、鬼石の傍らにお地蔵様をお祀りしたところ、ぴたりと歯痛が止んだとの伝説もあります。
このお地蔵様も実相院の敷地内に「鬼松地蔵尊」という名で現存していまして、地蔵堂の中に大切に祀られています(上の鬼石の写真の石造多宝塔の後ろに写っているお堂が、その地蔵堂です)。

Jizoudou

Jizou

地蔵堂と、中に祀られている鬼松地蔵尊です。

続きを読む "毘邪王の鬼石(実相院)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月 1日 (火)

真楽寺大池(甲賀三郎伝説)

東信地方に伝わる竜伝説で、小泉小太郎伝説と並んで有名なものに甲賀三郎伝説があります。伝説の内容はこちらに詳しく載っていますのでご参考ください。

甲賀三郎が地底の都から這い出て、現世に竜の姿となって戻って来た場所が、御代田町にある真楽寺の大池であると伝わっています。

Saburou1

うっそうと茂る林を水鏡に映した大池は、なかなかに神秘的な景観です。

Saburou3

池からはこんこんと清冽な湧水が湧出していまして、水は非常にきれいです。この湧き水はいかなる干ばつのときにも涸れることが無く、地域の灌漑用水として昔から大切にされてきたそうです。
ちなみに写真上の方にセリが写っていますが、聖徳太子が真楽寺を訪れた際に、このセリの見事さに見入ったとの伝説も残っています。

Saburou4

竜伝説の地らしく、竜の小さな像もあります。

Saburou5

池の岸辺にある、竜を祀った祠です。

さて伝説では、竜となった甲賀三郎は諏訪湖に安住することになるわけですが、それはつまり甲賀三郎と諏訪神である健御名方命(たけみなかたのみこと)を同一視しているわけです。御代田も含めて佐久地方は和田峠を越えれば諏訪ですので、古来から諏訪と密接なつながりがあったのは間違いないところです。

Saburou6

Saburou7

こちらは真楽寺敷地内にある水分(みずわけ)神社という神社です。祭神はやはり健御名方命でして、甲賀三郎と同一人物であることの裏付けとなっています。
ちなみに、 「たけみなかた」の「みな」は「水」を表し、水神であることを示しているとする説もあります。

有名な伝説の地でありながら案内板等が見当たりませんでしたが、三重塔のすぐ下の大きな池ですのですぐに分かります。

Shinrakuji

左が江戸時代に再建された三重塔、右が神代杉と言って真楽寺のご神木です。大池はこのすぐ下の参道を下ったところ、水分神社は三重塔の脇の石段を上ったところにあります。

続きを読む "真楽寺大池(甲賀三郎伝説)"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年8月24日 (月)

大沼池(志賀高原)とアサギマダラ

夏の志賀高原で外せない観光スポットが大沼池です。大沼池入口のバス停から一時間程度のトレッキングコースを歩かなければなりませんが、志賀高原の自然を楽しめる平坦な遊歩道ですのでこの時期は家族連れも多く見られます。

この日は遊歩道にたくさんのアサギマダラが舞っていまして、とてもきれいでした。

Asagimadara1

アサギマダラはカメラを向けてもあまり逃げない蝶でして、私のようなカメラの取り扱いに不慣れな初心者でも比較的簡単に写真を撮ることができます。アサギマダラをはじめとしたマダラチョウ科の蝶は幼虫が毒草を食べるため、成虫も体内に微量の毒素を含んでいます。鳥などの天敵に襲われにくい安心感から、人間に対してもこのような鷹揚な態度で接してくれるのでしょう。

ちなみに、上の写真のアサギマダラは順光ですが、羽の本当のきれいさは逆光でこそ発揮されます。

Asagimadara2

逆光で透ける羽は、まるでステンドグラスさながらの美しさがありまして、自然の造形の妙には驚かされます。技術がありませんので撮影はできませんでしたが、頭上すれすれをふわふわと飛翔するアサギマダラの羽が太陽を透かして輝く光景は、感動すら覚える美しさがあるものです。

アサギマダラは8月いっぱいくらいまで、志賀高原だけではなく菅平などの高原や太郎山などの山頂付近で観察できます。

さて、大沼池の方です。

Oonuma1

Oonuma2

見事の一言に尽きるコバルトブルーの湖水でして、秋田の田沢湖に勝るとも劣らない美しさを誇っています。

Oonuma3

湖水の透明度は非常に高く、そのまま飲めそうな感さえあります。ですが、田沢湖の水と同じく、この湖水は強酸性でして生物はほとんど棲んでいません。コバルトブルーの湖水の色は、火山性の金属イオンが多量に溶出しているためのものです。

さて、この大沼には有名な大蛇伝説があります。伝説の詳しい内容はこちらにある通りです。
黒姫伝説自体は、大沼だけではなく色々な地域の湖沼に伝わっているものです。しかし大沼の黒姫伝説は、大沼の神秘的な風景もありまして、さもありなんと説得力感じさせるものがあります。

Oonuma4

こちらが大蛇神社の祠です。

Oonuma5

こちらが大蛇神社の鳥居です。

祠は湖の方を向いていますし、鳥居も湖水の中に立ててありますので、いかにも水を司る大蛇の神社といった風です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月15日 (土)

鼠大明神(鼠神社)

鼠宿と唐猫神社でも紹介いたしましたように、唐猫神社の方は大きな社で祀られているのですが、鼠神社の方が今どうなっているのか、文献等を調べても不明でした。
どの口伝でも共通して、唐猫と戦った大鼠は鼠大明神(鼡大明神)として鼠神社に祀られて大切にされている、と締めくくられているのにも関わらず、その大切にされているはずの鼠神社の場所すら不明なのはいささか腑に落ちないところでした。

識者の方々のご協力をいただき再調査してみたところ、鼠神社はどうやら明治末期に行われた神社合祀によって、鼠宿の端にある会地早雄(おうじはやお)神社本殿へと合祀されてしまったようです。貴重な民俗学的資料であり、伝説の舞台である鼠神社が失われてしまったことは残念の極みと言わざるをえませんが、今となっては悔やんでも仕方が無いことなのかも知れません。
本殿の中に今もあるのか分かりませんが、鼠大明神の御神体は御幣だそうです。

そのような経緯ですので、今となっては会地早雄神社をお参りすると、同時に鼠神社にお参りしたことになります。

Oujihayao1

Oujihayao2

こちらが会地早雄神社です。敷地はかなり大きく拝殿も立派でして、鼠宿の守り神として鎮座しています。

Oujihayao3

拝殿の裏の本殿は、聳え立つ巨大な岩に背後を守られているかのように佇んでおり、なかなかの迫力があります。巨岩の上から下まで、たくさんの石造りの祠がありますが、もしかすると合祀された摂社の元々の祠なのかもしれません。そうだとすると、この中に鼠神社の元々の祠も在るのではないかと想像できますが、本当のところはよく分かりません。

会地早雄神社の位置はこちらになります。

より大きな地図で 会地早雄神社 を表示

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月15日 (水)

弘法のさかさ杖(東御市地蔵峠)

東御市側から地蔵峠を登って行って、ツツジの湯の丸高原へと行く途中に、弘法のさかさ杖と呼ばれているシナノキの巨木があります。地蔵峠はその名の通り峠道沿いにに石仏が点々と設置してありまして、ふもとから頂上に向かって番号がふってあります。弘法のさかさ杖は、ちょうど五十番目にあたる石仏のところです。

Sakasa

逆さ杖の伝説の内容は、近くの案内板にあるとおりです。

Sakasa3

逆さ杖の伝説は各地域の大木にまつわる伝説として数多くの類型が見られるパターンでして、先に紹介した石芋伝説と並んで全国各地に広く分布しています(沓掛の石芋の青木村にも、弘法の逆さ杖と呼ばれている大木があります)。
逆さ杖の伝説自体が珍しいわけではありませんが、案内板の通りに、この大木がシナノキであるということに面白さがあります。

シナノキは一説によると、「信濃」の語源になっているとされています(シナノを科野とも表記します)。その説によると、シナノキの皮から盛んに繊維をとっており、その繊維で作った織り物が信濃国の経済を支えていたようです。信濃国から送られた大和朝廷への献上品の中に科野布と呼ばれる織物が数多くあったことが記録されていますが、これはシナノキの織物であるとする説もあります。

いずれにせよ、信州において昔からシナノキが重要な位置づけにあったことは間違いなさそうですし、それは弘法大師が生まれる遥か前からずっと続いてきた歴史なのです。

Sakasa2

シナノキの太い幹を見上げて、そんな歴史ロマンに想いを馳せるのも楽しいと思います。

続きを読む "弘法のさかさ杖(東御市地蔵峠)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 6日 (月)

湯の丸高原のツツジ

東御市の地蔵峠を登りきったところにある湯の丸高原スキー場にはレンゲツツジの大群落がありまして、6月下旬~7月上旬にかけての開花時には観光客で賑わいます。

Tsutsuji1

Tsutsuji4

Tsutsuji2

昨日の時点では開花のピークを過ぎて、散りはじめといった感じです。先週末くらいが見頃だったのでしょうか。ツツジ祭りも昨日で終了してしまいましたが、山肌が真っ赤に燃えているような一面のツツジはなかなかに見ものですので、一度足を運んでみられると良いと思います。

ところでこのツツジの大群落には、以前に紹介しました太郎山のツツジの乙女とまったく類型の悲恋伝説があります。乙女と若者の住まいが祢津村(現在の東御市祢津)と嬬恋村という地蔵峠を挟んだ村々へと舞台を移しているだけの違いでして、ツツジの乙女の伝説が湯の丸のツツジへと伝播したのではないかとも考えられています。
ただ、湯の丸高原のツツジの大群落は太郎山のものよりもスケールが格段に大きいですし、美しさも別格ですので、どこが伝説のオリジナルなのかと探るのも野暮というものかも知れません。

いずれにせよ、人々の生活の隣に常に自然があり、そこにストーリー性を創造して行った昔の人たちの感受性には学ぶべきところが多いと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)