カテゴリー「文化・芸術」の記事

2013年11月 5日 (火)

花岡塗

花岡塗をご存じでしょうか?上田特有の漆器のことですが、googleなどで検索してもほとんど引っかからないところからも分かるように、非常に知る人ぞ知る逸品なのです。

いくら文章で説明しても花岡塗がどんなものか上手く伝わらないと思いますので、論より証拠、花岡塗の漆器の写真をご覧ください。

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次号の真田坂の取材で、花岡塗師の小林泰夫さんのお宅を訪問した際に撮影したものですが、いかがでしょうか?
およそ漆器とは思えない色彩感覚に度肝を抜かれるのではないでしょうか。くわしい説明は市立博物館のページをご覧いただくとして、江戸時代の上田藩のお殿様がこの色彩感覚の魅力に気づき、お抱えの職人としていたという先見性には驚くばかりです。

小林さんのご厚意で、現在、飯島商店でも花岡塗の展示をしております。時代を超えた上田のデザイン性を、ぜひご覧になりに来てください。

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2011年11月30日 (水)

金子みすゞ

薄幸の詩人金子みすゞとみすゞ飴の関係はあるのか?というお問い合わせをたまにいただきます。
結論から言いますと、よく分からない、といったところです。

彼女は信州はおろか、ほとんど山口県を離れなかった一生を送っています。なぜ、遠く離れた信州の枕詞に魅かれ、ペンネームに採用したのでしょうか?

金子みすゞは20歳頃(大正12年ごろ)から創作活動を行い、「みすゞ」というペンネームを用い始めています。
この時期はみすゞ飴が東京進出し、複数の販売所を持って盛んに全国展開していた時期と符合します。それをして、もしかしたらみすゞ飴で「みすゞ」のフレーズを知ったのでは?と仰る方もいらっしゃいました。

それはそれで非常に楽しい推測なのですが、金子みすゞ本人の口からそのような話があったとは寡聞にして耳にしたことがありません。

ただ、彼女が一生を過ごしたのが山口県、つまりは旧長州藩であるということは、遠く離れた信州と全く縁がないわけでもない、とも思います。三吉慎蔵のところでも書きましたが、幕末期、上田藩と長州藩の間には頻繁な行き来がありました。
金子みすゞが生まれたころは、明治維新後30年たっていない時期。おそらくには遠く離れた信州上田への想いを、昔話として語る古老も居たのではないか、と思います。

みすゞ飴と金子みすゞの関係はさておきまして。
彼女が信州に思いを馳せる、そういった土壌は旧長州藩であるという土地柄を考えると、十分に有り得ることだと思うのです。

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2009年2月17日 (火)

つるし雛(つるし飾り)

弊社店舗にて、今日からつるし雛を飾りはじめました。

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伊豆の稲取温泉が現在では大々的につるし雛を観光の目玉にしていますし、山形県酒田や福岡県柳川は歴史的に古いものを持っていますが、上田にも江戸時代末期から明治期には盛んにつるし雛を飾る風習がありました。
詳細については松尾町商店街で発行しているフリーペーパー真田坂をご覧になってください。

飯島商店で飾っているつるし雛は、当時の上田で飾られていたつるし雛の形式を踏襲したものにしています。ですので、一般に全国的に見られるつるし雛とは見た目からして異なったものになっています。
一般的なつるし雛は稲取温泉旅館協同組合にて紹介されているような形のものが多いかと思います。一方、上田にて伝わっているつるし雛の特徴を挙げますと、次のようなものになります。

  1. 柳などの木の枝に吊り下げる

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  2. 押絵(おしえ)を多用する

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1.の風習は、恐らく会津から信越地方にかけて風習として残っている繭玉飾りと同じルーツがあるものと思われます。繭玉飾りは、モナカの皮で作った人形を木の枝に吊り下げる飾り物です。上田地方では古くはこれを「こうれん」と呼んでいたようです(上田ではありませんが、現在でも製造し続けている種久商店のホームページで繭玉飾りの姿を確認できます)。
また、上田でも正月飾りで繭玉飾りを使っている地域が残っています。

2.の押絵ですが、これは現在では全国的に見て、羽子板の飾りとして用いられることが多いです。県内では押絵雛という名で、松本地方の伝統工芸品として残っています(いいまち長野のページが詳しいです)。そして、松本にて押絵雛の風習が広がるのとほぼ同時期に、上田でも押絵のつるし飾りの風習が比較的裕福な家を中心に盛んに拡がったと、当時の商家の帳簿などから明らかになっています。
松本の押絵雛が先だったのか、上田の押絵つるし雛が先だったのか、あるいは全く他の地域からほぼ同時期に松本や上田に押絵の文化が流れ込んでいたのか、というのは議論になるところだと思いますし、今後の研究が待たれるところです。

稲取や酒田、柳川などを代表とする多くの地域のつるし雛は、押絵ではなく綿入れの人形を用いることが多いです。また、上田の飾りつけの方法とは全く異なり、たくさんの綿入れの人形を直列に連ねて吊るすのが一般的とされています。
上田地方に残っているつるし雛は、それらのものと比べて派手さには欠けます。しかし、上田から遠く離れた福島県のいわき地方の旧家に、同じような押絵タイプのつるし雛が残っているとのことです。そこで、つるし雛の元々の原型は上田と同じような押絵雛を木に吊るすもので、そこから現在全国的に普及したつるし雛の形式へと発展して行ったという説もあります。

上田と他の地域のつるし雛の違いについても今後の研究が楽しみなところです。学術的なところはさておき、上田のつるし雛の方に古式ゆかしいような奥ゆかしい雰囲気を感じることは確かです。

つるし雛は3月いっぱいまで飾りつけている予定です。ご興味のある方はお気軽に見にいらしてください。

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