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2011年11月30日 (水)

金子みすゞ

薄幸の詩人金子みすゞとみすゞ飴の関係はあるのか?というお問い合わせをたまにいただきます。
結論から言いますと、よく分からない、といったところです。

彼女は信州はおろか、ほとんど山口県を離れなかった一生を送っています。なぜ、遠く離れた信州の枕詞に魅かれ、ペンネームに採用したのでしょうか?

金子みすゞは20歳頃(大正12年ごろ)から創作活動を行い、「みすゞ」というペンネームを用い始めています。
この時期はみすゞ飴が東京進出し、複数の販売所を持って盛んに全国展開していた時期と符合します。それをして、もしかしたらみすゞ飴で「みすゞ」のフレーズを知ったのでは?と仰る方もいらっしゃいました。

それはそれで非常に楽しい推測なのですが、金子みすゞ本人の口からそのような話があったとは寡聞にして耳にしたことがありません。

ただ、彼女が一生を過ごしたのが山口県、つまりは旧長州藩であるということは、遠く離れた信州と全く縁がないわけでもない、とも思います。三吉慎蔵のところでも書きましたが、幕末期、上田藩と長州藩の間には頻繁な行き来がありました。
金子みすゞが生まれたころは、明治維新後30年たっていない時期。おそらくには遠く離れた信州上田への想いを、昔話として語る古老も居たのではないか、と思います。

みすゞ飴と金子みすゞの関係はさておきまして。
彼女が信州に思いを馳せる、そういった土壌は旧長州藩であるという土地柄を考えると、十分に有り得ることだと思うのです。

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