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2010年9月 8日 (水)

なぜ上田で三宝柑の製品を作っているのか?

お客様から表題のようなご質問を受けました。
たしかに三宝柑の産地の和歌山県南部(紀南)と、私どもの長野県上田市ではかなりの距離があります。誰しも不思議に思われるところでしょうから、私どもが三宝柑を知り、製品にした当時の経緯について今日はご説明いたします。

1970年代後半、私ども飯島商店では社長を先頭にして、四季のジャムの拡充を行っていました。ジャムのラインナップに柑橘系は不可欠、ということで最初にできたのが夏柑ジャムです。
ところがある年、気候の影響で夏柑の皮に苦味が強く、ジャムにするのが難しくなりました。そこで青果問屋で喧々諤々の議論をしていたところ、たまたまこちらに来ていた紀南の人がその話を横で聞いていまして、「皮に全く苦味の無い柑橘がある」と紹介いただいたのが三宝柑なのです。

早速に、ということで紀南に行きまして三宝柑を味わってみましたところ、これが本当に最高レベルの上品な味でした。これなら良いジャムが作れる、と思い、取引の打ち合わせをしたところ、農家の方からこんなことを言われました。

「三宝柑は伐採奨励品目に指定されていて、伐り倒せば伐り倒すほど奨励金がもらえる。あと数年で三宝柑はすべて伐られて、絶えてしまうだろう。だから、この取引も数年だ」

伝統ある古い品種を滅ぼして新しい品種にしていくことこそ、善なのだ。当時はそんな風潮が農政にもはびこっていました。三宝柑はそういった槍玉に上がる品種の一つだったのです。
三宝柑の高品質さと潜在的価値を訴える私どもは、まさに流行の真逆を行くもので、奇異の目で見られました。

産地になんとかお願いをして伐採を待ってもらい、今すぐに品種保存に取り組まねば三宝柑が絶滅してしまう。三宝柑の歴史的価値も併せて考えると、それは後々重大な損失として後悔する結果になるだろう。
その思いから、ジャムにするだけではなくみすゞ飴のラインナップにも加え、とにかく取引実績を確保して伐採にストップをかけたのです。

かくして現在に至ります。
三宝柑は私どもが誇る製品ラインナップの一つであり続けています。

世間では三宝柑の加工品も増えて、ようやく時代が三十数年前の私どもの想いに追いついて来た感はあります。今でこそ、古い品種保存の価値も一定の理解が得られています。
しかし、信州の山奥の私どもが動かなければ品種が継続しない、そんな時代があったことを言わせていただきまして、私どもと三宝柑のつながりの経緯とさせていただきます。

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