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2010年9月 6日 (月)

仏岩の宝篋印塔(ほうきょういんとう)

長和町のエコーバレースキー場へ行く途中、仏岩という景勝地があります。

Hotokeiwa1

山の山頂に切り立った大岩が3つ並んでいますが、これが仏岩です。
この切り立った大岩の上に、鎌倉時代の応長元年(1311年)の石塔(宝篋印塔)があります。在銘の石塔としては長野県最古のものです。

Hotokeiwa2

仏岩を拡大したものですが、一番左の大岩の上にぼんやりと石塔が乗っているのが分かるでしょうか。

仏岩登山道入口は国道152号線沿いに大きな看板がありますので、すぐにそれと分かります。

Tozando

仏岩の上まで30分程度の登山なのですが、登山道は頂上付近でかなり厳しいものになります。

Hotokeiwa3_2

チェーン伝いに登っていかなければならない場所です。それほど長く続くわけではありませんが、ちょっとした探検気分を味わえます。

Hotokeiwa4

仏岩の頂上、宝篋印塔へと登るハシゴです。足を滑らせれば無事では済まないところですので、それなりの覚悟が必要です。

Houkyouinn1

仏岩の宝篋印塔と、そこからの景色です。

Hotokeiwa5

足元はこんな感じでして、絶景というよりも恐怖感を覚えます。

ちなみに、この宝篋印塔は、江戸時代に岩茸採りに来た村人によって偶然に発見されました。岩茸(信州ではおめでたい席などで食べる高級食材です)はコケの一種でして、このような断崖絶壁に生えます。
一体誰が、何のために、どうやって、このような鳥しか通わないような場所に石塔を立てたのか?しかも、信州最古の石塔が、なぜこの場所に立てられたのか?
伝説・伝承の類すらまったく現存せず、大きな歴史上の謎です。
(銘文については上田マルチメディア情報センターのページに紹介されています)

Houkyouinn2_3

その謎の解答を知っているのはこの石塔だけ、ということになります。

仏岩からすぐ近くには大門峠があり、茅野へと抜ける大門街道は古くから交通の要でした。また、石塔の銘文からも西日本にルーツを持つ有力者が建てたのではないかと想像できます。
はるか遠く、峠を越えて、故郷を望むことができそうな場所が仏岩の上だった、と私は想像しています。

仏岩の大体の位置は下の地図になります。


より大きな地図で 仏岩の宝篋印塔 を表示

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コメント

仏岩の宝篋印塔を建てた人物について、千葉氏の支族である武石氏が有力視されているようです。銘文の「肥前太守」は武石宗胤、「近江禅閤」は近江源氏の佐々木氏信、「息女並日光」は宗胤の妻で佐々木氏信の四女の法名月光とその姉、と考えられています。

千葉氏は名前の通り、現在の千葉県に一大勢力を持っていた名家です。武石氏は現在の千葉県千葉市花見川区にその所領を持ち、現在も武石の地名が残っています。仏岩の近くの上田市武石地区には、妙見寺や、武石氏始祖の「胤盛」の名が刻まれた石柱、千葉氏の家紋「月星紋」など、武石氏や千葉氏にゆかりのあるものが数多く残っています。武石氏が信州に所領を持っていたという記録は無いのですが、地名から考えても武石地区を武石氏が支配していたと考えるのが自然です。

投稿: 飯島商店 | 2013年2月26日 (火) 12時33分

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