« 2010年2月 | トップページ | 2010年5月 »

2010年4月

2010年4月10日 (土)

泥宮大神

生島足島神社から西南に2kmほど、ちょうど生島足島神社山宮とは逆方向に泥宮という小さなお社があります。

より大きな地図で 泥宮 を表示

こちらが泥宮になります。

Doromiya1

Doromiya2

その名の通り、泥宮のご神体は泥でして、大地信仰です。全国的に見ても泥に対する信仰の例は数少なく、その点においても特異な例と言えます。
さて、生島足島神社でも少々紹介いたしましたが、生島足島神社のご神体は土間であり、大地信仰です。古くからの伝承で、生島足島神社はもともと泥宮の位置にあったと言われていますが、信仰の対象の類似性からも納得できるところです。

Doromiya3

案内板にもそのような旨が書かれています(黒坂周平氏は著名な郷土史家です)。

泥に対する信仰とは、稲作に対する信仰であることは想像に難くありません。生島足島神社におけるもっとも重要な神事である「お籠り祭」も、諏訪神が生島神・足島神にお粥を奉じる、というところから稲作との密接な関係を見て取ることができます。

より大きな地図で 泥宮、生島足島神社、山宮 を表示

地図上に泥宮、山宮、生島足島神社の位置に印をつけてみると、生島足島神社はちょうど泥宮と山宮の中間地点に位置していることが分かります。そこから想像しているのですが、現在の位置に生島足島神社が移されたのは、最重要神事のお籠り祭を簡単に行うためだったのではないか、と考えています。
実際、山宮から泥宮まで直線距離でも4km以上。もともとお籠り祭は毎晩行われていましたので、この距離を徒歩で神主が歩くとするとかなりの労力です。手抜き、と言っては怒られてしまいそうですが、なるべく神事を簡略化しようと考えてもおかしくない、と想像しています。

それにしても、お籠り祭には一体どのような意味があるのでしょうか?
一般に諏訪神信仰には縄文文化の影響が色濃いとされます。縄文時代は狩猟や山の木の実などの採取による食生活が中心ですので、諏訪神がお粥を奉じる、というのはいかにも不似合いです。

弥生時代以降、日本は稲作の普及とともにムラの発達とクニの発生、そして大和朝廷による中央集権へと発展していきます。
お籠り祭とは、そういった時代の移り変わりの象徴ではないか?つまり、うがった見方をすれば大和朝廷への恭順の象徴として、土着の宗教・文化の象徴である諏訪神にあえて、新興作物の「お粥」を奉じさせるのではないか?泥宮(生島神・足島神)とは新興勢力、つまり大和朝廷による地域統治の象徴なのではないか?
あくまで想像ですが、そんな見方もできると思います。

時代は下って、聖武天皇の時代。国の統治を新興宗教である仏教にて行おうとします。
仏教信仰による地域統治の象徴である国分寺を、なぜ上田に建てたのか?という疑問は大きな歴史上の謎ですが、もしかすると上田という土地は、大和朝廷の信濃支配の前線基地として古の昔から機能し続けていた、と考えると意外とすっきりと氷解するのかも知れません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年4月 9日 (金)

生島足島神社山宮

今年は御柱祭です。諏訪の御柱祭が有名ですが、上田にもたくさんある諏訪神社でも、どこも小規模になりますが御柱祭を必ず行います。
その中でも比較的大規模なものが生島足島神社の御柱祭です。

生島足島神社の御柱祭については他にいくつも紹介サイトがありますのでそちらに譲るとしまして、あまり知られていない生島足島神社の山宮についてご紹介します。


より大きな地図で 生島足島神社山宮 を表示

インターネットで検索してみましたが地図もありませんでしたので、大体の位置を載せておきます。

さて、なぜ御柱祭で山宮なのかと言いますと。御柱祭で生島足島神社に立てる木は、この山宮がある東山地区から切り出された(山出し)ものなのです。

Onbashira_2

ちょうど山出ししてきた御柱がありましたので撮影したものです。ちなみにこの場所は「御旅所」と言います。

そして、こちらが生島足島神社山宮です。

Yamamiya1

Yamamiya2

小ぶりながらも四隅に御柱が立っていることが分かります。

Yamamiya3

また、案内板にもあるように、この山宮は健御名方、つまり諏訪大社の神様を祀ったものです。生島神足島神とは関係がありません。
生島足島神社山宮とは言いますが、実際には摂社である諏訪神社の山宮の性格が強いと言えます。

特に山岳信仰にまつわる神社に非常に多いのですが、もともとは山の上にあった神社を、参拝のし易いふもとの集落に移し、もともとの場所を奥宮(山宮)と称する例があります。
生島足島神社の境内にある諏訪社も、もともと山宮の位置にあったものを移してきたものではないかと私は考えています。

それにしても生島足島神社において、なぜこれほどまでに諏訪神が重要な扱いを受けているのか興味深いところです。
いろいろと想像ができて楽しいところですが、私なりの推測を、今度は生島神足島神がもともと祀られていたと言われる泥宮をからめて後日ご紹介したいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年2月 | トップページ | 2010年5月 »