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2008年12月14日 (日)

生島足島神社

観光ガイドブックなどで上田の紹介があると、必ずと言っていいほどに掲載されているのがこの生島足島(いくしまたるしま)神社です。

Ikushimatarshima

写真でもわかりますが、池の中に島を作ってその中に主要な建物を置く形式は宇治平等院鳳凰堂にも見られますように非常に古式な様式であると言えます。
お祀りしている神は生島神・足島神という二神なのですが、これは誕生と繁栄を司る神とされていまして、日本が誕生した時から存在している神だといわれています。生島神と足島神が居るとされる内殿の中にはもちろん一般の人は入ることができませんが、床も何もまったく無い土間の空間だそうです。大地そのものがご神体だということでして、古代宗教の形を色濃く残した自然崇拝なのでしょう。

生島足島神社は昔から日本の中心であると言われていまして、生島足島神社の中にも大きく日本中心の地と看板が出ています。それはちょっと言い過ぎのような気がしないでもありませんが、おそらく古代における信濃一帯の信仰の中心地であったであろうことは想像に難くないところなのです。

Ikushimatarshima2

Ikushimatarshima3

本殿、内殿ともに室町時代に再建されたものであると考えられており、県宝に指定されています。
なお、色鮮やかな朱と漆で彩られていますので新しい建物のように見えますが、これは昭和に入って色の塗り直しをしたからです。この修復作業は国費によって行われたそうですので、未だもって国家レベルでの重要な神社であると認められているということなのでしょう。

生島足島神社にはもう一つ面白い言い伝えがありまして、それは一般的には信州の神の代名詞とされている諏訪大社との関係です。諏訪の神様は建御名方命(たけみなかたのみこと)という人なのですが、建御名方命がこの地にとどまり生島神足島神の庇護を受けたとの伝説です。建御名方命はたいそうこれに感謝し、生島足島の神に粥を自ら作って奉じたとされています。

Suwa

Suwa2

Suwa3

そんな伝説による深い結びつきのせいか生島足島神社の中には諏訪社が摂社としてありますが、これまた江戸初期の立派な建物でして本殿と門が県宝に指定されています。伝説を裏付けるように「お籠り祭」という古い神事が今も行われておりまして、毎年秋から春にかけて諏訪社から神主が生島足島社へと移ってお粥を炊いて献じています。

伝説の通りですと、諏訪神よりも生島足島神は歴史的に古い土着の神様である、ということになります。また、建御名方命は中央の大和政権から追われて諏訪へと亡命したとする説をとると、建御名方命を大和政権の追手から守るだけの勢力を生島足島神が持っていたということでして、その勢力は国家に匹敵するようなものだったともロマンが膨らみます。もっとも、この古代ロマンは何人もの作家が着目していまして、いくつもの小説の題材として生島足島伝説は使われています。

Onbashira

諏訪大社と言えば御柱祭(おんばしらまつり)ですが、生島足島神社にも御柱祭がありまして上の写真がその御柱です。生島足島神社においては、御柱祭も生島足島伝説にちなんだものだとされていまして、諏訪神が生島足島神に感謝の意を表すために行っているとされています。

今となっては諏訪大社の方が有名になってしまっていると思いますが、生島足島神社は観光ガイドブックに紹介されるだけの文化的価値と歴史ロマンがある場所であるということで今日は紹介してみました。

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