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2008年12月

2008年12月28日 (日)

中禅寺薬師堂

前山寺三重塔の塩田地域一帯は鎌倉時代~室町時代にかけての一級の文化財を擁した神社仏閣が林立しており、それがゆえに信州の鎌倉と呼ばれています。今日は前山寺三重塔に並ぶ観光名所として知られる中禅寺薬師堂を紹介してみます。

Chuzenji1

中禅寺薬師堂は平安時代の建築様式をよく残した鎌倉時代初期の建造になりまして、国の重要文化財に指定されています。長野県下では最古の木造建造物であるとともに、中部日本全体を見てもおそらく現存する最古の木造建造物であると言われています。

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後世の建築に見られるような彫刻などはほとんどありませんが、建築そのものが持つ安定感からくる美しさを楽しむことができます。

また、薬師堂の中に収められている薬師如来像と神将像もやはり国の重要文化財に指定されています。

Nyorai

薬師堂とほぼ同時期の作品であると推定されていまして、薬師堂とともに塩田の地で信仰の対象として残り続けてきたものなのでしょう。

県宝になりますが、山門の仁王像はその様式から平安時代末期のものと言われています。ですが、薬師堂・薬師如来像が当初は平安時代末期のものと推定されていて後に鎌倉時代初期のものであると訂正されたことを考えますと、やはり鎌倉時代初期のものであるのかも知れません。

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たしかに運慶・快慶に通ずるような、たくましく躍動感のある彫刻でして、見ごたえは十分にあります。

さて、中尊寺薬師堂をはじめとするこれらの傑作を作るだけの経済的背景は一体どこから来たのか、というのは今となってはよく分かっていません。
候補として、源頼朝の有力御家人で塩田の地頭職だった島津忠久の出資によるものではないかとも考えられています。
今年の大河ドラマは篤姫でしたが、彼女の実家の薩摩藩主の島津氏の祖が島津忠久になります。のちに島津忠久は九州へと赴任し、薩摩・日向の守護になりますが、塩田と薩摩という遠く離れた土地に少なからぬ縁があると考えると面白いものです。
そう言えば、幕末期に佐久間象山・赤松小三郎といった日本随一の兵学者が上田藩から次々と出てきて、薩摩藩の志士たちと密接な関係を持って行きますが、なんとなく宿縁じみたものを感じてなりません。

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2008年12月26日 (金)

多少の降雪がありました

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上田市街地では1cm弱の積雪ですが、昨晩遅くから断続的に小雪が降っています。この時期としてびっくりするほどの積雪ではありませんが、路面がかなり滑りやすくなっていますので、お越しの際には冬用タイヤにて安全運転でお願いいたします。

上田ではこの程度の雪なのですが、長野市より北の北信地方や山沿いでは今シーズンはじめてのまとまった雪になっているようです。ゲレンデの雪不足が報じられているところでしたので、どこのスキー場もほっと一安心といったところではないでしょうか。

今日は上田でも一日中氷点下の予報です。ここしばらくは寒波が日本列島に居座るようですので、防寒着等もしっかり準備されてお越しください。

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2008年12月23日 (火)

菅平高原のゲレンデ状況

午後に休みがとれましたので、菅平高原スキー場に行ってきました。今年のスキー初滑りです。

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昨今、ニュースなどで報道しているとおりに雪不足はかなり深刻です。上の写真は大松山から見た、太郎・ダボス方面の状態ですが、コースに土が出ている様子が分かると思います。

Sugadaira2

今日滑った大松山です。この写真だとコースに雪があるように見えますが、実際は2コースしか滑れません。また、積雪量が少ないですので、コース中にかなり硬いアイスバーンの箇所がありまして足を取られている人を多く目にしました。
クリスマス前ということもあってか、こんな状況でもコースは結構混雑していまして、うかうかしていると衝突の危険がありそうな感じです。

スノーマシンが入っていない閉鎖コースの状況はこんな感じです。

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今週はまとまった雪になるとの予報ですのでそれに期待したいところですが、やはり本格的に滑ることができるのは年明けになりそうな感じを受けました。

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信州大学繊維学部講堂

先日、フリーペーパー真田坂の取材で信州大学繊維学部の講堂に写真撮影に行ってきました。

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繊維学部講堂は昭和2年の建造です。信州大学繊維学部は、もともとは上田蚕糸専門学校という独立した学校だったのですが、戦後になって信州大学へと吸収されました。従ってこの講堂は、上田蚕糸専門学校時代のものということになります。
上田近郊の大正ロマンの建物として最も高名なものですので、私としては以前からとても興味がありました。一般公開はされてはいませんが、今回は特別に建物の中にまで入らさせていただきました。

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講堂内部です。想像していた以上に素晴らしい建物でして、さすがは国の礎となっていた蚕業の学校の講堂だと感動させられました。講堂と言うよりもお洒落なダンスホールといった趣ですし、上田近郊でこれほど凝った作りの当時の建物はちょっと思い当たりません。
一般公開されていないのが非常に惜しまれるところですが、それだけにこの空間を今は独占できているのだ、と変な感動を覚えました。

Light1

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照明器具もなかなか洒落たものでして、飯島商店にもこのレベルの照明器具が欲しいなとついつい思ってしまいます。

さて、蚕の学校ということで、この講堂内には蚕に関係するデザインが各所に見られます。

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両方とも演台の写真なのですが、上の写真は蚕蛾と繭のレリーフでして、下の写真は桑の葉のレリーフです。

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演台の横にある柱の台座ですが、これも桑の葉が使われています。

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講堂正面入口の天井板の換気口です。二つの繭を囲んで蚕蛾が4匹いるのがわかります。

もちろん、上田地域内で類を見ないような昭和初期の建物であることは間違いありませんが、日本唯一の蚕業専門学校という性質をよく表した講堂のデザインを見ていますと、日本が誇る文化遺産であると言ってもけっして過言では無いと思います。

現在、繊維学部講堂は飯島商店の建物と同じく国の登録有形文化財になってはいますが、、もっと重要な文化財としての扱いを受けてしかるべきなのでは無いかと思ってしまいます。

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2008年12月20日 (土)

シナノイルカ(高仙寺)

小泉小太郎の里の上田市小泉地域にある高仙寺というお寺に、シナノイルカといってイルカの化石が保管されています。

Iruka

これがシナノイルカの化石でして、写真右から頭と手、左に背骨とろっ骨があります。イルカですので海の生物でして、このシナノイルカはおよそ1500万年前に上田地域が海であった頃のものです。鴻の巣で以前に上田地域が海であったと紹介しましたが、ちょうどその頃に上田の海で泳ぎ回っていたのでしょう。

ちなみにシナノイルカは現在のイルカよりも歯が小さく手が大きいなど、かなり固有な特徴を持っているようでして、今のところ上田で発見されたこの化石だけに見られる種のようです。そんなこともあり、現在では長野県県宝に指定されています。

シナノイルカ以外にも高仙寺にある博物館にはいろいろな化石が展示されていまして、一番目につくのは博物館に入ってすぐにあるクジラの化石でしょう。

Kujira

クジラの背骨部分でして、シナノイルカとほぼ同時期に上田の海で泳ぎ回っていたものです。たまにこちらがシナノイルカの化石だと勘違いされている方もいますが、シナノイルカ同様に上田地域が海の底だった頃の様子を物語る貴重な化石であることには間違いありません。

上田のずっと南東に小海という場所がありまして、そこが海だと勘違いしたクジラの夫婦が日本海から小海目指して千曲川を遡上した、などという笑い話のような伝説が上田地域にありますが、1500万年前でしたら何も千曲川の急流を上らなくてもクジラやイルカたちの天国だったわけです。

ちなみに高仙寺には小泉大日堂という立派なお堂があります。

Dainichidou

もとは室町時代に建てられたものではないかと推定されていますが、江戸時代に粗雑な修理を行って原型を損なっていたので昭和の大改修で建造当初の姿にできるだけ近く復元修理したようです。
小泉大日堂にはこんな伝説が伝わっていまして、「昔、小泉大日堂の天井裏に蜘蛛の化け物が住み着いて、それを退治したことがありました。再び蜘蛛の化け物が住み着かないように、天井板をそれ以来すべて外しているのです」、というものです。
しかし現在の大日堂の中を覗き見ると、天井はきちんとあるように見えます。もしかすると、江戸時代に行った修理の時に天井板を取り外し、昭和の大改修でもとの形へと復元したのかも知れません。

小泉大日堂の見学は自由なのですが、シナノイルカの見学には予約が必要です。
詳細はじゃらんnetのページをご覧になってください。

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2008年12月14日 (日)

生島足島神社

観光ガイドブックなどで上田の紹介があると、必ずと言っていいほどに掲載されているのがこの生島足島(いくしまたるしま)神社です。

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写真でもわかりますが、池の中に島を作ってその中に主要な建物を置く形式は宇治平等院鳳凰堂にも見られますように非常に古式な様式であると言えます。
お祀りしている神は生島神・足島神という二神なのですが、これは誕生と繁栄を司る神とされていまして、日本が誕生した時から存在している神だといわれています。生島神と足島神が居るとされる内殿の中にはもちろん一般の人は入ることができませんが、床も何もまったく無い土間の空間だそうです。大地そのものがご神体だということでして、古代宗教の形を色濃く残した自然崇拝なのでしょう。

生島足島神社は昔から日本の中心であると言われていまして、生島足島神社の中にも大きく日本中心の地と看板が出ています。それはちょっと言い過ぎのような気がしないでもありませんが、おそらく古代における信濃一帯の信仰の中心地であったであろうことは想像に難くないところなのです。

Ikushimatarshima2

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本殿、内殿ともに室町時代に再建されたものであると考えられており、県宝に指定されています。
なお、色鮮やかな朱と漆で彩られていますので新しい建物のように見えますが、これは昭和に入って色の塗り直しをしたからです。この修復作業は国費によって行われたそうですので、未だもって国家レベルでの重要な神社であると認められているということなのでしょう。

生島足島神社にはもう一つ面白い言い伝えがありまして、それは一般的には信州の神の代名詞とされている諏訪大社との関係です。諏訪の神様は建御名方命(たけみなかたのみこと)という人なのですが、建御名方命がこの地にとどまり生島神足島神の庇護を受けたとの伝説です。建御名方命はたいそうこれに感謝し、生島足島の神に粥を自ら作って奉じたとされています。

Suwa

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そんな伝説による深い結びつきのせいか生島足島神社の中には諏訪社が摂社としてありますが、これまた江戸初期の立派な建物でして本殿と門が県宝に指定されています。伝説を裏付けるように「お籠り祭」という古い神事が今も行われておりまして、毎年秋から春にかけて諏訪社から神主が生島足島社へと移ってお粥を炊いて献じています。

伝説の通りですと、諏訪神よりも生島足島神は歴史的に古い土着の神様である、ということになります。また、建御名方命は中央の大和政権から追われて諏訪へと亡命したとする説をとると、建御名方命を大和政権の追手から守るだけの勢力を生島足島神が持っていたということでして、その勢力は国家に匹敵するようなものだったともロマンが膨らみます。もっとも、この古代ロマンは何人もの作家が着目していまして、いくつもの小説の題材として生島足島伝説は使われています。

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諏訪大社と言えば御柱祭(おんばしらまつり)ですが、生島足島神社にも御柱祭がありまして上の写真がその御柱です。生島足島神社においては、御柱祭も生島足島伝説にちなんだものだとされていまして、諏訪神が生島足島神に感謝の意を表すために行っているとされています。

今となっては諏訪大社の方が有名になってしまっていると思いますが、生島足島神社は観光ガイドブックに紹介されるだけの文化的価値と歴史ロマンがある場所であるということで今日は紹介してみました。

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2008年12月12日 (金)

12月の三宝柑福居袋

12月中旬になってきまして、だいぶ皮の色が黄色くなり、味に深みが出てきました。
やや不作傾向だとのことで収穫量減が心配されているところでしたが、今のところ安定した数量を確保できていますのでほっと一安心です。

Fukuibukuro12

今日の福居袋を写真撮りしてみました。
11月の時点と比べていただけば分かり易いと思いますが、果皮の緑色がやや退色して黄色みをさしてきていますし、ゼリーにもやや黄色みが増してきていまして、果実全体が熟し始めてきていることが分かります。

これから年末年始に向けて毎日製造量が増えていきます。全て手づくりの福居袋製造現場は、人海戦術そのものでして大忙しとなって行きます。

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2008年12月 8日 (月)

地獄石

旧真田町に山家神社(やまがじんじゃ)という神社があります。この神社は真田氏発祥の地の近くでして、非常に真田氏と関係が深い神社だと知られています。一説によると、真田氏の居館がこの山家神社の敷地内に一時期あったのではないかと推測されていまして、実際に多数の古銭等の遺物が発見されています。
山家神社自体の解説はこのページが詳しいと思います。

今日ご紹介しますのは、その山家神社の敷地内にある地獄石と言われているキノコ状の石です。

Jigku

上の写真中央にある石が地獄石です。なぜ地獄石かと言いますと、この石の中央部分に3cmほどの穴が開いていまして、この穴が地獄に通じているという伝承があるのです。

Jigoku

この穴に耳を当てると地獄の釜の煮える音が聞こえると云われていまして、確かに耳を当てると軽い音で「こぉー」というような反響音が聞こえてきます。おそらく貝殻に耳を当てるのと同じ原理でしょうが、地獄の釜の音と言われると確かにそう思えるので面白いものです。

ちなみに、この地獄の釜の音を耳の悪い人が聞くと、耳が治って良く聞こえるようになるというまことしやかな話も伝わっております。俗に地獄耳と言いますが、それをもじったものなのでしょうか。

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2008年12月 3日 (水)

身代わり地蔵(延命地蔵)

旧真田町の中原という地区に、身代わり地蔵尊・延命地蔵尊と呼ばれる地蔵堂があります。

Jizou

これが地蔵堂でして、地域の祭り等で敷地を使うことが多いですので地元では非常に親しまれている場所だと思いますが、地元以外では上田市民でもほとんど知られていないと思います。
このお堂の中にはお地蔵様が祀られているのですが、この地蔵像には有名な伝説があります。いろいろな書籍にて頻出の伝説なのですが、インターネットで検索してみたところほとんど紹介されているものがありませんでしたのでざっとした内容を紹介してみます。

むかしむかし、中原に藪谷長者という大富豪がいました。この長者の家の住み込みのお手伝いさんに、こふじという女の人がいました。こふじは大変に信心深い人でして、特に近所のお地蔵様を深く信仰していまして、毎日自分のご飯をお供えしていました。
ところがそうとは知らない長者は、こふじの行動を男と密会しているのではないかと怪しみ、後をつけて行きました。そしてこふじを斜に刀で斬りつけたのです。斬られて死んだと思ったこふじですが、何故か体に傷一つありません。不思議に思ってお地蔵様を見てみると、顔に刀傷が残っていました。
そんなことがあったせいか、長者の家は次第に傾いてついには滅びてしまいました。一方、こふじは末永く幸せに暮らしたそうです。
それ以来、このお地蔵さまを身代り地蔵と呼ぶようになったそうです。

という話でして、このお地蔵さまには確かに頬から鼻下にかけて斜めの傷があります。

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なかなか面白い伝説ですし、今もお地蔵様は地域で大切にされていますので、地元だけではなくもっと知られてもいい存在だと思います。

伝説のこふじさんですが、こふじ塚と言ってこふじさんのお墓とされる場所が今に残っています。

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地蔵堂のすぐ近くにある廣山寺の敷地内の廣山寺古墳の近くにありますので、併せて拝みに行ってみるのも良いでしょう。

ちなみに地蔵堂の前には中原宝篋印塔がありまして、上田市の文化財に指定されています。

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貞治五年(西暦1366年)の刻印がありまして、南北朝期の石造物は上田地域でも数少ないものです。このことからも、旧真田町中原地域がかなり古くから文化的に開けた土地柄であったことは間違いなさそうです。

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2008年12月 1日 (月)

駒形岩

鳥羽山遺跡から車で5分程度、長和町に駒形岩という名勝があります。

Komagata

これが駒形岩でして、文字通り駒(馬)の形をした岩なのですが、どこに馬が居るか分かるでしょうか。

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馬の形をした部分を拡大してみましたが、写真で左側を向いた馬の姿がなんとなく分かるでしょうか。写真左から右へと馬の顔、耳、馬の背といった具合に彫刻のように彫れているのが分かると思います。なんとなくうずくまって休んでいるような姿でして、かわいらしい感じがあります。

駒形岩の伝説はいくつかあるようですが、一番有名なのは日本文化研究センターのページに掲載されているものだと思います。馬に乗った兄妹の父親は防人(さきもり)だったとの話もありますが、そうだとすると平安時代以前の話でしてずいぶんと昔の物語になります。

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この駒形岩のある岩壁は、せんが淵の依田川の浸食作用によってできたものです。上の写真で中央に流れている川が依田川でして、川の左岸に見えるのが駒形岩になります。自然の大きな力は時として、駒形岩のような作品を後世へと残してくれることがあります。

駒形岩はこの馬の形をしていることで有名なだけではなく、ハヤブサの一種であるチョウゲンボウの繁殖地として生物学的にも貴重な場所でして、長和町の天然記念物に指定されています。

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このような岩壁の穴の中にチョウゲンボウは営巣する性質がありまして、4月から6月くらいまで子育てするようです。さすがにこの時期にはチョウゲンボウの姿は見えませんでしたが、時期になるとバードウォッチャー達が観察に訪れることも多いようです。
チョウゲンボウの姿はこのページがよく撮影できていると思います。

ちなみに、下の写真が駒形岩の兄と馬を祀ったとされる駒形神社です。

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ちょっと屋根のトタンや灯篭が傾いてしまっていますので保存状態が心配です。

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これは駒形神社にあるトチの大木でして、樹齢300年と推定されていまして上田市の天然記念物に指定されています。この神社が古くから土地の人に信仰されていたことを示すものだと思います。
ちなみに駒形神社と駒形岩は意外と離れた位置関係にありまして、駒形岩は長和町、駒形神社は上田市武石に位置しています。

ところで駒形神社があるあたりはちょっとした高台でして、浅間山連山がよく見えます。

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これは駒形神社のちょっと下にある子檀嶺神社から見た夕焼けの浅間山連山です。一番右にある白い山が浅間山でして、一番左手に見えるのがこの間冠雪したばかりの烏帽子岳です。

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