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2008年11月

2008年11月30日 (日)

鳥羽山遺跡

以前に紹介したせんが淵の対岸にある岩壁に、鳥羽山遺跡という古墳時代の遺跡があります。

Sengahuchi3

上の写真の一番左端に見える洞窟が鳥羽山遺跡のある洞窟です。

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拡大するとこんな感じになります。

この遺跡は出土品から古墳時代であることは明らかなのですが、古墳を作らずに曝葬という特異な葬法をとっています。曝葬とは遺体をそのまま曝しておく葬法でして、鳥羽山遺跡の曝葬は沖縄によく見られる崖葬(崖にある洞窟に遺体を安置する風葬の一種です)とよく似ていることが指摘されています。

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これが洞窟内部でして、おびただしい数の河原の石を敷き詰めまして、その上に遺体を曝葬していたようです。

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当時の石段だと思いますが、石組みがそのまま残っている箇所も多く見られます。

写真ですとあまり凄味が伝わらないと思いますが、今にも押し潰してきそうな岩壁の下にあるこの遺跡の雰囲気は、対岸に絶えず車通りがあるにもかかわらず古代の人に後ろから肩を叩かれそうな迫力があります。

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鳥羽山遺跡から出土した埋葬品は、この地域に類を見ないほどに豪華で高い技術のものであったようです。埋葬品等の詳細は丸子郷土博物館のページが詳しいですのでそちらをご参考にしてください。

このような裕福な集団が一体どうして曝葬という本州でも稀に見る葬法を大々的に行っていたのか、曝葬を行っていた集団とは一体どのような人々だったのか、というのは考古学的に非常に興味深いところでして諸説があります。
一説によると、琉球や東南アジア出身の地位の高い者がこの地域で一大勢力を持っていたのではないかということです。もしそうだとすると、上田地域はこの時代から文化的・政治的に非常に重要で、開けた土地柄だったのかも知れません。

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2008年11月27日 (木)

肉桂について

肉桂について今日は紹介してみます。

肉桂(にっけい)はクスノキ科の常緑樹でして、主に熱帯から亜熱帯にかけて分布しています。漢方薬名で「桂皮」とも言いますが、その名のとおりに木の皮の部分を用います。肉桂は「ニッキ」とも言いまして、ニッキ飴や京都の八つ橋の香りはこの肉桂です。
ちなみに肉桂の英名が「シナモン」だと私も思っていたのですが、肉桂の中の一種がシナモンであるとする説、肉桂とシナモンは全く別物であるとする説、などがありまして色々と複雑なようです。

飯島商店で肉桂を使用している商品は2つでして、「肉桂入り紅玉ジャム」と「肉桂入りルバーブジャム」になります。品目としては大した数ではありませんが、なかなかに手間暇がかかる作業です。何が手間取るかと言いますと、もともとは木の皮である肉桂をボールミルという装置にて粉砕する作業なのです。何グラムの肉桂を粉砕するかによりますが、長い時ですと粉砕するのに2・3日かかることもあります。

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これがボールミルに入れる前の荒く砕いた肉桂の状態でして、

Nikkei2

これがボールミルに入れて粉砕した肉桂粉末になります。非常に細かいきな粉のような見た目でして、舐めてみても粒は全く感じません(ただ、結構辛いです)。飯島商店で使っている肉桂は全てこのようにして手間ひまかけて作っています。

ちなみにボールミルは装置といっても相当に原始的なものです。陶磁器容器の中に荒く砕いた肉桂の皮と陶磁器のボールを入れまして、その容器を回転させることによってボールと肉桂がぶつかり合うことにより、摩擦によって肉桂がほんの少しずつ削られて粉末になるという仕組みなのです。

Nikkei2

これがボールミルの陶磁器容器でして、この中に

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同じく陶磁器でできた大小さまざまなたくさんのボールと、肉桂の皮を入れます。

Nikkei

写真では粉砕し終わった状態ですが、陶磁器容器の中にボールが入っている様子はこんな感じです。これで陶磁器容器の蓋を閉じて

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このような専用の機械で、肉桂がきめ細かい粉になるまでひたすらに容器を回転させ続けます。機械も相当な年代ものなのですが、未だ現役で活躍しています。

ちなみに粉砕方法には色々な種類がありまして、グラインドミル方式(砥石ですりおろして粉体化するもので、石臼やコーヒーミルのようなものです)、スタンプミル方式(石臼と杵で叩き潰して粉体化するものです)、ハンマーミル方式(工業用の高速粉砕方式でして、固い金属ですら瞬時に粉砕することが出来ます)など、色々な方式があります。
その中でもボールミル方式は粉体化するときに発生する摩擦熱が非常に少ない方法です。摩擦熱が高いとどうしても風味の劣化が起こりますので、ボールミル方式で得られる肉桂粉末は、他の方式で得られるものよりも風味高く高品位なものとなるのです。

他の方法よりも手間ひまがかかる上に大量生産は全くできませんのがボールミルですが、少量生産だからこそできる私どものこだわりです。

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2008年11月25日 (火)

じょうぼし

じょうぼしとは「上」の下に「●」をつけた記号でして、飯島商店の屋号です。(屋号とはその店や家を表すデザイン化された商標のことでして、一種のブランド名です。六角形の中に「萬」と書いてキッコーマンと読ませたりするのが代表例です)

Tenpo1

Tenpo2

店舗棟の屋根飾りにそれを確認できますし、

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駐車場に面した繭蔵の鬼瓦も、上の文字をデザインしたものとなっています。

この「じょうぼし」は明治~戦後にかけて頻繁に使われていますし、今でも一部印刷物には使われています。ですが、じょうぼしの存在を知らない方も多いのではないかと思い、紹介してみました。

ちなみにじょうぼしの意味は創業当時は何かあったのだろうと思いますが、現在ではよく分かりません。じょうぼしの「上」が上田藩の上であったのではないかとも想像できますが、当時のことを知る人が誰もいませんので何とも言えないところです。

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2008年11月24日 (月)

鹿教湯の文殊堂

別所温泉と並ぶ上田の名湯である鹿教湯温泉に、文殊堂という建物があります。文殊堂は今は天竜寺というお寺の所属になっていますが、元々は独立したものでして、全国を行脚し聖武天皇による国分寺建立にも大きな影響を与えたとされる行基の弟子の園行によって設立されたものだと伝わっています。

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これが文殊堂でして、江戸時代中期に再建されたものでして県宝に指定されています。たしかになかなか保存状態が良く、再建当時の姿を今に残す貴重な存在です。

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日光東照宮に通ずる極彩色が残っていまして、建造当初の姿を想像することができます。日本仏閣というと地味で渋い色合いを想像してしまいますが、文殊堂はそれとは違ってまさに絢爛豪華といった姿だったのでしょう。

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屋根には法住寺虚空蔵堂と同じく鬼板に鬼の面が乗っています。このことからも、法住寺虚空蔵堂に影響を受けているのかも知れませんし、もしかしたら当時は虚空蔵堂もこのような極彩色による装飾が色鮮やかに残っていたのかも知れません。

ちなみに鹿教湯は文字通り、怪我をした鹿が傷を癒すのに使っていた秘湯であるとされていまして、人間にこの秘湯の存在を知らせた鹿が文殊菩薩の化身であったとの言い伝えがあります。
今も文殊堂は鹿教湯の湯治客の散策コースとして賑わっていますが、今も昔も鹿教湯と文殊堂は密接な関係があったようです。

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2008年11月23日 (日)

金次郎池

お仙が淵で紹介しましたが、伝説の中で姉のお仙はお仙が淵、弟の金次郎(かなじろう)は金次郎池、庄兵衛はしょうぶ池にそれぞれ祀られました。お仙が淵は整備されていますので知名度が高いのですが、金次郎池としょうぶ池についてはインターネットも含めてほとんど知られていないと思います。
今日はわりと分かりやすい金次郎池について紹介いたします。

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これが金次郎池です。
池というよりも沼に近い感じでして、一番深いところでもひざ下くらいの水位だと思います。写真では落ち葉で水面がかなり隠れてしまっているのでよくわからないと思いますが、直径5m~10mくらいの小さな池です。

金次郎池は武石地域の簡易水道の水源地として用いられているくらいでして、豊富な湧水によるきれいな水を湛えています。

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下の写真は自生していたワサビです。

Wasabi

ワサビはご存じのとおりきれいな湧水のあるところにしか育ちません。さすがに池の水を生水で飲むことはできないでしょうが、きれいな水であることには間違いなさそうです。

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これは池のほとりにある小さな祠でして、おそらく金次郎社と呼ばれる金次郎を祀った祠だと思います。金次郎池には「ここが伝説の地」と分かるようなものはありませんが、わずかに祠だけが残されているのでしょう。

姉のお仙に比べて金次郎池は、景観的に考えるとかなり地味な存在ではあります。しかし、お仙が淵を上流とする武石川、清冽な湧水の金次郎池と、「水」が昔の人々の生活に無くてはならないものであり、すべて等しく信仰の対象として大切にされていたことが垣間見られるのかも知れません。

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2008年11月20日 (木)

初雪が降りました

ニュース等で報道されている通り、大陸から寒波が入り込んで日本海側は大荒れのようです。上田地方でも明け方近くに初雪が舞いました。

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こんな感じでして、地面にはほとんど積もらなかったのですが木の葉の上にはうっすらと初雪が積もりました。上田も昨日今日と最低気温が氷点下にまで下がりまして、防寒着はしっかりとしたものが必要です。

もっとも、標高の高い山ではまとまった雪となったようでして冠雪が見られました。上田からよく見える烏帽子岳(2,066m)頂上付近も雪化粧です。

Eboshi

上田市街地ではまだノーマルタイヤで十分ですが、標高の高い場所の山道や、新潟・富山方面へと向かう時にはチェーン・スタッドレスタイヤがあった方が安心です。いよいよ冬の到来間近といったところでしょうか。

上田市街地の初雪は太陽が昇るとほどなくすべてとけて消えました。本格的な冬はまだ先でして日中は気温も上がり、晩秋の名残といったところです。

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これは上田城址公園のモミジでして、紅葉がまだまだきれいに残っています。
モミジ以外はほとんど落葉し終わって冬支度といったところですが、モミジの赤色だけはもう少しの間は楽しめそうです。

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2008年11月17日 (月)

法住寺虚空蔵堂

稚児ヶ淵へと向かう国道254号線沿いに法住寺というお寺があります(国道沿いに「虚空蔵堂」と比較的に大きな案内柱が出ていますのですぐにそれと分かります)。ここの虚空蔵堂というお堂は国の重要文化財に指定されていまして、上田地域でもかなり異色な建築物です。

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これが虚空蔵堂でして、一番の特色はその屋根です。正面からですとあまりよく分からないと思いますが、裏に回るとその特徴がよくわかります。

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まるで絵本に出てくる麦わら帽子のような形の屋根をしていまして、ユーモラスささえ感じます。このような造りの屋根を入母屋造というのですが、ここまで頭が飛び出た入母屋造の屋根は少なくとも上田地域では見たことがありません。

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屋根の側面ですが、鬼瓦ではなく鬼板と呼ばれる木製の飾りに赤鬼の面がついていまして、ちょっと見は怖い顔なのですが、よくよく見ると何となくこれも愛嬌のある顔です。

建築当時は柱や肘木、垂木なども朱塗りだったのでしょう。お堂の軒下に入ると、当時の朱塗りの面影が残っています。

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法住寺虚空蔵堂は建築年代は室町時代中期だとされています。一般には公開されていませんので私もよく見たことはありませんが、お堂の中には虚空蔵菩薩を収めた厨子がありまして、こちらも大変に精巧な作りをしているそうでして国の重要文化財に指定されています。

法住寺のあるあたりは鹿教湯への湯治客や三才山峠を越えて松本へと抜ける旅人たちでかなりにぎわっていたのでしょうし、それに伴って財力もあったのでしょう。法住寺虚空蔵堂を筆頭として文化財がいくつか見られますし、また伝説・民話もかなり豊富な土地柄です。

法住寺にも実は悲恋話の伝説があります。法住寺住み込みの小坊主さんと、大竜寺(という名前だと記憶しているのですが、後で資料を調べて確認してみます)のお手伝いしていた娘さんが主人公です。
昔はその二つの寺が激しく争っていて大変に仲が悪く、小坊主さんと娘さんが付き合っているのを知った両寺に関係する人々は、二人を憎んで寄ってたかっていじめ殺してしまったそうです。それからというもの、両寺の檀家のある村で不審火による火事が後を絶たず、村人たちはあの二人のたたりではないかと噂しあいました。
そこで二人を改めて手厚く弔うと、それきり不審火はおさまったそうです。

という話でして、物の怪も大蛇も竜も出てきませんが、人間の業のようなものをストレートにさらけ出した伝説でして何とも陰惨なものとなっています。伝説は伝説にすぎないのでしょうが、いつの時代でも「さもありなん」と思わせるものがあるからこそ、伝説は語り継がれているのかもしれません。

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2008年11月16日 (日)

稚児ケ淵(霊泉寺)

信濃毎日新聞にて紹介されたので少々知名度が上がりましたが、旧丸子町地籍の鹿教湯につながる国道254号線から脇道に逸れて霊泉寺温泉という小さな温泉地に行く途中の山道に、稚児ヶ淵という淵があります。

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これが稚児ヶ淵でして、遠くから見るのと違って、近くで見ると岩肌が深くえぐれていましてかなり壮観です。観光スポットとしてまったく有名ではないせいなのか安全のためのロープ等は全くありませんので、近寄る時には足を踏み外して崖下に転落しないように気をつけなければなりません。

ちなみになぜ少々話題になったかというと、この稚児ヶ淵がポットホールという珍しい浸食地形だからなのだそうです(経緯はこのページの説明が詳しいです)。この穴の中で岩が川の流れで回転し続けることによってできる浸食地形なのだそうですが、地質学に興味を持っている人の間でかなりの話題になったようです。

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段々畑のようにできた丸いポットホールが、川の流れにできているのが分かると思います。

もっとも、稚児ヶ淵自体は地域民俗学に興味を持っていた人には以前からそれなりに知名度がありまして、旧丸子町の町誌にもその伝説が掲載されています。ですが案内板等はありませんでしたし、インターネットで検索してみましたがここの伝説が掲載されているものがありませんでしたので、伝説の内容を紹介してみます。

その昔、霊泉寺にお稚児さんがいました(当時は子供の見習い坊主さんを「稚児」と言いました)。このお稚児さんは真面目でとても性格が良く、みんなに好かれていたのですが、ある時から夜更けに寺を抜け出すことがたびたびあるようになりました。不思議に思ったご住職が他の坊主さんに、このお稚児さんがどこに夜歩きしているのか後をつけていくようにと指示しました。
指示どおりにお稚児さんの後をつけていった坊主さんが見たのは、お稚児さんが川の淵で美しい娘と楽しそうに語り合っている姿でした。坊主さんは寺に帰ってご住職にこのことを報告しますと、お住職が顔色を変えました。その娘は川の主で魔性の者であり、このままだとお稚児さんがとり殺されるとのことだったのです。
寺に戻ってきたお稚児さんに、お住職はそのことを言い聞かせました。いったんは納得し、もう川へと行かないと約束したお稚児さんでした。
ですが、夜になるとお稚児さんはいたたまれなくなってしまいます。結局、ふらふらと再び川の淵へと行ってしまったお稚児さんが見たのは、淵の水面で手招きする娘の姿でした。娘の姿を追うようにお稚児さんは淵へと身を投げ、それ以後、お稚児さんの姿を見た者は居ないそうです。以来、この淵を稚児ヶ淵と呼ぶようになったのです。

という話でして、距離的に近いせいかもしれませんが以前に紹介したせんが淵の伝説と近いものがあります。当時は戒律やしきたりが厳しい社会でしたので、このような悲恋話がたくさんできたのでしょう。

さて、お稚児さんがいた霊泉寺ですが、これはかなり大きなお寺であったようですが、明治時代に火災に遭いほとんどの建物を焼失しました。その中で残ったのが不開門(あかずもん)と大ケヤキの木だったのですが、大ケヤキの方は今年に大風で倒れてしまって今は切り株だけとなっています。

Keyaki

大ケヤキの元気な時の姿はこちらでご確認ください。

一方、不開門の方は大ケヤキの隣に今も建っていまして、一説によると室町時代のものだそうです。

Reisenji

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かなりぼろぼろになってしまっていますが、この不開門にも伝説がありまして、龍伝説です。この伝説もあまり有名ではないのかインターネットで検索しても出てこなかったので、ざっとした概要を紹介してみます。

昔々、霊泉寺に中国から高名な絵師が来て、龍の絵を描きました。ところがその絵の出来ばえがあまりに素晴らしすぎたので魂がやどってしまいまして、龍が毎晩絵から抜け出て付近の村々に悪さをしてしまいます。困ったご住職は竜の絵を寺の一角に封印し、その建物につながる門を開かずの門としました。これが不開門なのです。
龍は水を司る神ですので、この神通力によっていかなる火災に遭おうと不開門は燃えないのです。

という伝説でして、たしかに明治の大火でも不開門は燃えていません。現在では不開門はただぽつんと立っているだけのぼろぼろの門ですが、そんな伝説の裏付けがあると思うとありがたみを感じるところです。

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2008年11月13日 (木)

11月19日から三宝柑福居袋の販売開始予定です

三宝柑の試験入荷と試作があったことをお伝えいたしましたが、熟度が十分であることが確認できましたので11月19日(水)から販売を開始する予定です。ただ、シーズン最初は三宝柑の入荷が不安定になりますので、在庫状態は電話(0268-23-2150)もしくはホームページのオンライン注文にてご確認くださいませ。

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上の写真は試験入荷した三宝柑で試作した福居袋です。この時期特有のさわやかな酸味と香りを楽しめますが、果皮はまだまだ緑色です。これから12月、1月となっていきますとだんだんと緑色が抜けてきれいな黄色になって行きます。

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2008年11月11日 (火)

三宝柑の試験入荷です

今シーズンの福居袋用の三宝柑がそろそろ熟期を迎えました。紀南の産地から送ってもらい、試験製造をしています。

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これが送られてきた三宝柑でして、果肉を取り出す前の葉付き三宝柑そのものの状態です。現地視察で見たとおりに今のところサイズとしては立派なもので上々ですが、来年の2月を過ぎてくると規定サイズよりも大きな三宝柑ばかりになるかもしれません。となると、2月ごろから欠品、などというのも最悪の事態ですと覚悟しなければなりません。
心配なところですがこればかりは自然のものですので、実際に2月になってみないとよく分かりません。

味についてはこれから試作、味見ということになります。
外観からはわりと良さそうなのですので、期待が持てます。

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2008年11月 8日 (土)

三宝柑の視察に行ってきました(和歌山県田辺市)

今年もいよいよ三宝柑福居袋の製造が間近に迫っており、田辺市の生産地へと視察に行ってきました。

Sanpo 

三宝柑に限らないのですが、ミカン畑というのはこのような山の中のことが多いです。ミカン類の性質として水はけのよい傾斜面を好むというものがありまして、山で作ったミカンは概ね平地で作ったものよりも味が良くなるのです。山肌の畑というものは作業性で考えるとなかなかに不便なものですが、わざわざ不便なところに畑を作るだけの品質の差が得られます。

さて、本題の三宝柑ですが、

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この三宝柑はだいぶ熟度が進んできていまして、そろそろ福居袋に使えそうな感じです。皮の色が若干黄色みをさしてきているのが分かると思いますが、これが目安となります。

もっとも、熟度の進みは決して均一ではありませんでして、同じ畑であっても木によって異なります。

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この三宝柑の木では、実はまだ青くて福居袋に使うにはもう少しかかりそうです。

全体的に見て、今年は台風の上陸がありませんでしたし外観は美しいものが多いです。ただ、今年の9月にまとまった雨が多かったせいか、全体的に実が大きいです。福居袋にできる規定サイズに収まるかどうかとても不安ですが、こればかりは今後の天候次第ですのでうまく行くことを祈るしかありません。

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三宝柑は古い品種ですので、古木も数多くあります。この木は田辺市内でも古い木でして、樹齢70年くらいはあるそうです。普通、果樹はある程度の樹齢になると弱ってきて実がつかなくなってしまうのですが、三宝柑は樹齢が高いものでも比較的強いままである性質があります。
この木もまだまだ現役とばかりに沢山の実をつけていました。

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ところで、田辺市のある紀南地方はサンゴ礁があるくらいでして温暖な場所です。上田ではもう蝶の姿はほとんど見なくなってしまいましたが、三宝柑の畑ではまだまだ蝶やたくさんの昆虫を見ることができました。
上の写真の枯れ葉のような蝶はクロコノマチョウといいます(コノマチョウは「木の間蝶」でして、見た目のとおり枯れ葉にそっくりなところからつけられた名前です)。ジャノメチョウの仲間なのですが長野県内では全く見られない南方系の蝶ですので、田辺市が南国であることをこんなところでも意識させられます。

Sunset

三宝柑の畑は山の中ですが、ちょっと下の方に降りてくると南紀白浜で有名な黒潮の海が広がっています。写真はホテルの窓から写した夕焼けの海です。

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2008年11月 5日 (水)

もう一つのお仙が淵(丸子町飛魚)

武石村のお仙が淵を紹介いたしましたが、実はお仙が淵を上流とする武石川を下流に下ること10kmほど、依田川との合流点近くに「せんが淵」というこれまた「お仙」さんが主人公の悲劇の伝説を持つ淵があります。

場所は一番下の地図のとおりですが、上田から武石・長和町方面へと抜ける152号線沿いにありまして、鳥羽山の断崖絶壁の下あたりですので比較的に分かりやすい場所です。

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このあたりの知名を飛魚(とびうお)と言いますが、依田川の流れが特に急で、魚が飛び跳ねないと上流へと渡れないからだとも、急な流れで水面が荒れる様がまるで魚が飛び跳ねているように見えるからだとも言われています。いずれにせよ川の流れが激しい場所であることを示していまして、名勝とされています。

他のホームページ等でここの伝説について詳しく紹介されているものがあまりありませんでしたので、簡単に紹介してみます。

その昔、お仙という少女が居ました。お仙が飛魚の滝のほとりで腰かけて居眠りをしていると、夢の中で美しい少年が現れて「おせんさん」と声をかけます。お仙はすっかりこの少年が気に入ってしまいましたが、何しろ夢の中のことですので目を覚ませば少年は消えてしまいます。夢の中の少年がすっかり恋しくなってしまったお仙は、毎日同じ時間に飛魚の滝に来ては夢の中での逢瀬を楽しむことになります。
そんなお仙を知った母親は、娘の願いをかなえるべく夢の少年を探し出し、ついにお仙と結婚させることができました。
ところが、母親と婿の少年との間は次第に上手くいかないものとなり、少年はお仙の家を飛び出てしまいます。お仙は嘆き悲しみ、飛魚の滝壺へと出かけて行くと、なんと滝壺の水面に少年の姿が映っていました。お仙は我を忘れて滝壺へと飛び込み、それきり姿を消してしまいました。それ以来、この滝壺を「せんが淵」と呼ぶようになったのです。

というお話でして、武石のお仙が淵の伝説と同じくお仙という人が死ぬ伝説ではありますが、武石のお仙が悪漢として描かれているのに対し、こちらの伝説はかなりロマンチックな悲恋物語となっています。恐らくに「お仙」という名前が同じだけで別人だと思いますが、対比してみると面白いです。

現在では物語で出てくる飛魚の滝は無くなってしまっていますし、車通りの激しい国道沿いですので興ざめです。ですが、なんとなく対岸の断崖絶壁の方向を向いて依田川を見ていると、この悲恋譚にも信憑性の面影が出てくるような気がいたします。

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2008年11月 4日 (火)

お仙が淵(巣栗渓谷)

旧武石村の山奥に巣栗渓谷という名勝があります。地元でかなり力を入れて整備しているようでして、この時期は紅葉シーズンということもあって観光客の姿も多くなります。巣栗渓谷の大体の位置は下の地図のとおりです。


詳しい地図で見る

その巣栗渓谷の中にお仙が淵と呼ばれる淵があります。

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Osen2 

巣栗渓谷の中でも屈指の見どころとして遊歩道も整備されていますし、巣栗渓谷へと観光に行った人は必ず訪れる場所だと思います。

さて、この淵がなぜ「お仙」なのかということで、この淵には伝説があります。伝説の内容は武石村観光協会のページにもありますが、お仙が淵にある案内板が詳しいです。

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今から考えると何やら監禁殺人のような伝説でして、もしもお仙たちが無実の濡れ衣を着せられただけだったらと考えると恐ろしく思えたりもします。おそらく当時の人たちの中には閉鎖的なムラ社会意識が非常に強く、余所者に対する敵意のようなものが大きかったのでしょう。
と同時に、外部者に対する尊敬や畏怖のようなものも読み取れまして、なかなかに面白い伝説だと思います。
ちなみに上田市街地周辺ではこの手の話はあまりありませんが、おそらく上田が古くから交通の要所で人の出入りが絶え間無かったせいだと思います。

実はお仙が淵の伝説は他にもありまして、お仙がつつじの乙女のように失恋の末にお仙が淵へと身を投げるというもの、はたまた鞍ケ淵のようにお仙が実は竜であったというものなど、上田の影響を受けたと思われるものも多いです。ですが、一番有名なのは案内板にある伝説です。

お仙が淵以外にも巣栗渓谷は起伏に富んで見どころはたくさんあります。特にこの時期は紅葉もきれいですので一度訪れてみることをおすすめします。

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2008年11月 3日 (月)

ムキタケ

全国的に知名度は高い雑キノコなのですが、上田地方ではあまり食べる人が居ないムキタケについて紹介いたします。

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倒木などの腐りかけた広葉樹を好む晩秋のキノコでして、群生しますし毎年同じ場所から生えますので、覚えておきますとこの時期には必ずと言っていいほど収穫することができます。

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「片葉(かたは)」の異名がありますがその通りに、非常に短い茎が傘の片方へと片寄った生え方をしていまして、ちょっと見ではまるで茎が無くて、傘が直接に木へと繋がっているように見えます。

味はソフトでありながら歯切れと喉越しが良く、何のクセもないまろやかなものですので、鍋やお吸い物に最適です。キノコ図鑑などでも特に美味しいキノコであると紹介されていることが多いですが、まさに名菌と言っていいものだと思います。

ただ、ムキタケは残念ながら毒キノコとの誤食例が後を絶たず、そのために要注意菌の扱いを受けることも多いです。間違える対象はツキヨタケというキノコでして、かなり毒性の強いキノコです(ツキヨタケの紹介は農林水産技術情報協会のページが詳しいです)。
確かにツキヨタケも茎が傘の片方へと片寄った生え方をしていまして、その点だけを見て誤食してしまうのだと思います。
しかし実は、ムキタケとツキヨタケのとても簡単な見分け方がありまして、触った時の感触です。ツキヨタケは触った時にシイタケに近いガッシリした感触がありますが、ムキタケは水っぽくなよなよした触り心地でして、一度ムキタケに触ったことのある人は絶対にツキヨタケと間違えることは無いと思います。

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もう一つツキヨタケとは決定的に違うのが、ムキタケの名前の由来である「傘の表皮がむけやすい」という点です。上の写真で一部の表皮を剥いてみましたが、かなり簡単につるつると表皮を剥くことができます。

もっとも、上田地方ではツキヨタケの発生が比較的稀であることが知られています(全く発生しないというわけではありませんでして、私も菅平でツキヨタケの群生を見たことがあります)。 雑キノコ好きの上田人がなぜムキタケにあまり見向きしないのか不思議なところです。

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2008年11月 2日 (日)

修那羅の泉

山田神社の湧き水出浦滝神社の湧き水と紹介いたしましたが、おそらく上田で一番有名で、名水として知られているのは修那羅の泉だと思います。

詳しい地図で見る

修那羅の泉は修那羅峠へ向かう県道273号線の道沿いにありまして、峠道の随所に案内板がありますし泉のところに大きな看板もありますのですぐにそれと分かります。

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Syunara2

おそらく地元で整備をしているのでしょう。かなりの山奥の割に整備は行き届いています。
この時期ですとさすがに訪れる人も少ないですが、夏には水を汲みに来る人や、休憩しに立ち寄るバイクのツーリング客などでかなりにぎわいます。もっとも、駐車スペースはかなり小さいですので賑わうシーズンには注意が必要です。

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湧き水の量としては結構豊富でして、透明感のある水が年中涸れることなく湧き出ています。有名なだけあって美味しい水でして、かなり柔らかい感じの飲みやすい湧き水です。

修那羅峠には安宮神社の石仏群など、興味深いスポットが他にもあります。修那羅峠の峠道のふもとには小泉小太郎の里の小泉や、小泉氏と姻戚関係にあった名族室賀氏の本拠地である室賀がありますので、山奥とは言え古くから文化的に開けた場所であったのでしょう。
修那羅の泉が歴史的にどのような位置づけなのかは知りませんが、修那羅峠を越える旅人たちの喉を今も昔も潤し続けてきたのかも知れません。

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