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2008年8月 5日 (火)

龍の子太郎と真田昌幸

龍の子太郎と真田昌幸。片や伝説の主人公、片や真田氏中興の祖でして一見何の関連も無さそうですが、実はこの両者は上田城で繋がりがあります。

鞍ケ淵の項で紹介いたしましたが、龍の子太郎の物語は小泉小太郎伝説を元に作られたものです。この小泉小太郎伝説は、上田地域に広い領土を持っていた地方豪族小泉氏の起源物語なのです。
小泉氏は有力地方豪族として戦国時代に権勢を誇っており、結果的に武田信玄の信濃攻略時に降伏することとなりますが、その所領はそのまま安堵されたと伝えられています。

上田城に「小泉曲輪」とよばれる一角があります。ここに小泉氏の城があったと伝えられており、上田市街地一帯はもともとは小泉小太郎の子孫の領土だったのです。真田昌幸が築城したと一般に言われている上田城は、この小泉氏の城を接収し大々的に整備・増築したものです。

Koizumikuruwa1

現在は小泉曲輪跡は市民体育館・テニスコート・弓道場等になっておりますが、ぐるっと歩いてみますとぽつぽつと往時の遺構が残っていたりします。

Koizumikuruwa2

恐らく土塁跡だと思います

Koizumikuruwa3

恐らく矢竹用に植えられた竹が繁殖したものでしょう。

戦国時代に上田市街地を統治していたのは誰かと訊かれれば、上田市街地の住人でも、間違いなく真田氏を挙げると思います。ですが実は、真田氏が戦国時代に上田市街地一帯を統治したのは戦国時代末期のほんの短期間なのです。

上田市街地一帯の統治期間で言えば小泉小太郎の子孫である小泉氏が圧倒的に長いのですが、そのことを知っている人は少ないですし、小泉小太郎伝説ですらあまり馴染みの無い人が多いです。なぜ真田氏ばかりが英雄視されるかと言うと、これは恐らく、真田氏による統治以降は上田市街地が商人の町として急速に整備され、小泉氏統治時代に居住していた農家中心の旧住人を町外れへと移住させた為ではないかと想像しています。真田町の本原、東御市の海野から移住してきた商人は全て、真田氏による上田城下整備の恩恵を受けておりますので、真田氏統治以降の話ばかりが現代まで残っているのでしょう。

真田氏が上田城一帯を支配下に置いた頃には、既に小泉氏は衰退していましたので(武田氏の滅亡とほぼ同時期に、小泉氏は歴史の表舞台から消えてしまっているようです)、両氏の大きな衝突は無かったようです。ですが小泉小太郎からすると、子孫の城と領地を乗っ取った侵略者でありながら、現代の人々にまで郷土の英雄として持て囃されている真田氏は、あまり愉快な存在では無いと思います。

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コメント

もう少し調べてみましたが、上田市街地一帯を戦国期に一番長く統治していたのは海野氏の可能性があります。小泉氏がいつ頃から小泉曲輪のあたりに城を建てて上田市街地一帯を統治していたかは分かりませんが、村上義清が海野氏を討伐・一掃した海野平合戦の後なのかも知れません(小泉氏は村上義清に従属し、上田原合戦で武田信玄を打ち破った時に重要な役割をしていたと考えられています)。
もしそうだとするのなら、海野氏の血筋を名乗る真田氏が上田市街地一帯へと勢力を伸ばすのは一族の失地回復のためである、との名目があったので大きな争いも無かったのかもしれません。それだとむしろ、小泉氏こそ侵略者の居候者であったとも解釈ができますし、今となっては何が本当なのか全くもって分かりません。歴史上のミステリーです。

投稿: 飯島商店 | 2008年8月12日 (火) 18時24分

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