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2008年6月 2日 (月)

松尾古城

上田駅前の松尾町の「松尾」の由来となったのは、よく知られているように上田城の別名「上田松尾城」です。上田城を築城したのは、これまたよく知られているように真田昌幸ですが、真田昌幸と関係の深い城の中に「松尾城」と呼ばれる城は、上田城の他に2つあります(松尾古城、松尾新城(真田本城))。

いずれも旧真田町に位置し、規模や位置関係から考えて真田氏が上田へと進出する前に極めて重要な意味を持っていた城です。このことから真田氏は「松尾」の名前に相当な思い入れを持っていたと考えられます。

今日はその中から、松尾古城を紹介します。松尾古城は角間渓谷へと向かう途中にある山城です。角間渓谷を抜けて上州へと出ることが出来るため、戦略的拠点として当時は極めて重要な意味があったと思われます。

また、松尾古城の麓には日向畑遺跡と呼ばれる墓所跡があり、多数の土中に埋められた多宝塔が発掘されています。

Kojo1

日向畑遺跡が誰の墓所跡なのか歴史上の謎ですが、位置関係から室町時代~戦国時代初期の真田氏の墓所であるという説が有力です。このようなことからも、松尾古城こそは最古の真田氏の城であると伝承されており、それゆえに「古城」と呼ばれています。

しかし、松尾古城はあまりに急峻な山城です。

Kojo2

登城するためにはこのような人一人通れるかどうかという、険しい山道を30分ほど登らなければいけませんし、馬はおろか兵糧などの物資を城へと運び入れるのも骨が折れます。現在でも登城するための道はそれほど整備されていませんので、山歩き用の格好をしなければとてもではありませんが登れません。当時として考えても、居館として使用することは難しそうです。

そのため現在では、松尾古城は緊急時に篭城するための城である、という説が有力です。居館はもう一つの松尾城である、真田本城が有力視されています。

しかし、松尾古城は上田地方に限らず、長野県下の山城としてもかなり異色の山城です。圧迫感を与えるほどに石垣だらけで、まさに要塞といった姿を今に残しているからです。

Kojo4

Kojo5

登城する途中にこのような石垣跡が無数にあり、急峻な山道と相まって敵の侵入を固く防御していたと考えられます。

Kojo6

これが松尾古城の本郭になりますが、10m四方に2mくらいの石垣が隙間無く囲っています。これら石垣群は、江戸時代になってから手直しされて復元されたものである、という説もあります。しかしそうだとしても、誰が一体何の為に戦国時代の古城の手直しをしたのか、ということは歴史上の謎となっています。

それにしても、石垣も古城跡も非常に急峻な崖に面した場所にたてられているにも関わらず、今日までよく残っているものだと思います。科学知識が発達し、それらのデータによって建てられた新興住宅地が土砂災害などに遭っているという現代を考えますと、500年近く前の先人の知恵に学ぶところは多い、そう思えて仕方がありません。

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